ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
事-イノコ(瓦町子)o /]1'アゲ{メ1り上げ)@トウカμヤ(十日在)Aそ町他{十月十日お十日十日礼,十夜)f丁第l章-石摘さO藁鮭砲中年10月10日の行事名称第VI-23図10月10日の地掲き第VI-24図なl、日一那様のお亥の子なl、銭も物ももうかるよう、サンヨウポッタリ、もう一度おまけにサンヨウボッタリ」と、石を上げたり落したりする。どこの家でも、子供らの一人一人に丸めた餅を一個ずつやるので、集落全部を廻ると、子供らの餅を入れる袋は、入り切れないほどになる。昭和三十年頃まで続けられていた(徳島)。大生原地区亥の子といい、どこの家でも餅をつく。亥の子餅を畑へ投げると、カエルが餅をくわえてこの中に入り、冬ごもりをする。そオもを大根がみておどろき育つという。また田の神様が出雲へお帰りになるム」占己、カエルが餅を背負ってお供をして行く。それを畑の大根がみておどろき、伸び出したともいわれている(大賀)。大生原地区では「石掲き」の行事はみられない。一一月八日の恵比寿講は、恵比寿様が稼ぎに出掛ける日で、恵比寿講十月二十日の恵比寿講は稼いで帰ってくる日といわれている。恵比寿・大黒の掛軸をかけ、商家では出入りの人を招き、高膳で振舞い、足袋、金一封を呈する。床の間にはお頭つきの魚(鯉または鮒)を大血に二尾を腹合わせにして供える。農家では家の者だけで祝った。「恵比寿講までは足袋ははかない」という人もいた(潮来)。また一升析に金銭を入れuますて供える。供えたご馳走を下げて、「私はこのお騰を百万円で頂戴しま家いえでは恵比寿様に本膳のご馳走を供え、す」などと銘めいに高い金額をいっていただく。」の白から足袋をはいてもよいということになっていた(津知)。恵比寿様が一年間働いて稼いだ金品をもってきて各家庭に福をもたらすといわれている。額賀熊雄家の場合、床の間に恵比寿・大黒の掛軸をかけ、机の上に唐金の恵比寿・大黒の像を飾る。一升析に一円、O円一OO円等できる限り多く用意しておいて入れる。大きな鮒二匹を843