ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗民VIぅ。ぉ頭つきの魚も供える。二月八日に稼ぎに出た恵比844寿様がお金をもって帰ってくる日だと伝承されているダイコクの去来(大生原)。十二月一日。餅をついて土手から重ねカワビタシ餅餅を川へ投げた。水遊びをする子供ら2月8日,10月20日のエピス,がカッパにへそをとられないよう、まJRた水難に遇わずに無事すごせるよう願った。カワピタシ餅といったが、問和二十八、九年頃から川が泥水となり、水泳もできなくなってから行われなくなった(潮来六丁目)。昭和初期頃まで、前川へお供餅を投げた(潮来七軒町1八丁目)。昭和二十年頃まで、餅をついて川のカッパ様にお供えをした(潮来大洲)。第VI-25図コシアンで餅を食べるが意味不明(延方新宮、下回宮前、洲崎)。各家庭で餅をつき、氏神様に供え、また餅を川岸へもって行き、子供らがカッパによって水難事故に遇わないように川へ餅を投げる。昭和の中頃まで(延方徳島)。餅をついて川端へ行き、子供らがカッパに引円でかいます」と唱えて食べる。その金額は多いほど恵比寿様が金運をき込まれないようにと川の中へ餅を投げ入れた。今は行われていない浜焼きにして供え、また種々の料理も供える。供えた料理一品を、「何(大生原水原、釜谷、大生、大賀)。めぐんでくれるといわれていた。戦後この行事をする家は少なくなったほかでは聞かれない。(延方徳島)。恵比寿・大黒様を床の間に移し一升析に家にあるかぎりカワピタシ餅という名称があったのは一か所で、の金を入れて供える。また白米飯、けんちん汁、なます、煮付物、鮒なこと行事に関する由来語、川の中の餅を拾うこと、思案餅という名称、奉公人出替わりの日という伝承もとくにない。どお頭付き二尾を腹合わせにして皿に乗せ、「高脚膳」と「おとり膳」で供える。昔はこの日から足袋をはいた(延方乙)。正月の準備各家庭ごとに恵比寿・大黒様の掛軸や神像を飾り、ご馳走を供えて祝餅つきは十二月二十八日頃、卯の日はきらわれる。二十九日は「苦の餅」といってきらい、また餅米をひやすのもきらわれた。日を選び二十八日から三十日頃までにお