ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第三節結婚・厄払い-賀寿祝い人が一人前になるのは、男は二O歳の徴兵検査を基準結婚の諸習俗にしていたが、現在は男女共に成人式となっている。女の初潮は、昔は予備知識もなく、おどろいて母親に話し、母親から処理の仕方を教えられる。両親は「女になった」ことを赤飯を炊いて家庭で祝う。結婚は、古くは親の取決めが多く。その後仲人による結婚がほとんどで、仲人は家と家との聞を何回も往き来するので、「仲人は裾ばたきらたてし」といわれたが、現在は恋愛結婚が多くなり、今は仲人も「立仲人」しゅうぎしゆうげんが多い。結婚式の名称は、「祝儀」「祝言」である。以下、地域ごとにその概略を述ぺょう。大賀の事例仲人による結婚の了解が得られるとそこで「決まり酒」を交わし、「内たる」を入れるという。仲人は「たる入り」の日時を双方との相談で決める、「たる入り」の日には、金品持参で親戚代表と仲人で出席、結婚式の日時を決める。正月、彼岸、夏、十月は避けたようである。ネL嫁、婿方では、結婚式の三日から五日前に嫁(婿)入り道具を運ぶ。箪儀笥の引手には半紙を折り結ぶ。運び込まれた嫁入り道具は、近所の人に生みせられるので、より多くの着物等も持参しなければならず、「女三人人あればグシ(家の棟)が曲がる」といわれた。第2章式における当家の料理は、魚貝類、野菜、寿司などで、料理番が付いてつくられる。料理番は五日間位かけて当家の手伝いをする。床の間には、松の小枝と竹・梅。米を膳にのせ、大根でつくった亀、半紙で打つた鶴、腹合わせの鯉二匹を供えて飾り付けをする。結婚式の当日、男は羽織、袴、二重まわし、中折帽子、黒足袋、つまかわ付の桐下駄で「デポカイ」(出迎え)をする。「七之膳」と酒で儀式をすませてから午後四時頃に出発する。交通は馬車や船を使う。「嫁取り」に行く人は、仲人、正客、親戚などで、「割れない人数」(奇数人)で構成される。嫁方に到着すると、近所や親戚の人が集まっており、玄関前の左右に燃やされた火の聞を通りぬける。」のとき笠を火にあぶり背中にあてる。式は仲人の指図で進められ、料理が運ばれる。子供男女二人が酒を注ぎ、三三九度の盃が終ると宴会となり、夜の一O時頃本膳が出てお聞きになる。あらかじめ買い揃えた草履などとはきかえて出発し、到着は一一時頃。嫁が到着すると、前と同様のことをする。嫁は一一時頃から明朝まで坐り続けるがこれは「二度と結婚しないように」という意味である。鯉の腹合わせはこの式でも行われる。夫婦が顔を合わせるのは、三三九度のときだけである。オキツケ(お着付け)さんは、さらに一日残って嫁の面倒をみてから帰る。式後に嫁の引き廻わしがある。氏神様、神社等への参拝と近所への挨拶で、本家または分家の女性が引いて歩く。正月四日に年始があり、「姑餅」をつくって嫁方に贈る。両親が揃っているときは、紅白二重ねを大きくつくるが、片親の場合は一重ね、F}れに米二升(二升臥入り)を持参する。日帰りである。正月十五臼は嫁婿が泊りに行き、七日を越えないようにして帰ってくる。三月節句と五月節句には嫁に着物を与えて着せる。五月のときはショ855