ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗民羽ウプハタツケという(藤島一郎調査)。結婚式の前日に、馬車か牛車で856嫁入り道具を運ぶ。婿家ではもってきた道具を玄関に飾り、近所の嫁入り風景(上:昭和30年,下現在)人びとはその道具を見に行くのが礼儀であった。姑が箪笥の中まであけ、着物が縮緬か紬か綿、多いとか少ないとかいうこともあった。結婚式は、祝言、婚礼、嫁入りなどという、花嫁の衣裳は、金持ちゃ良家の上流が振袖、中流以下は留袖が普通である。第VI-33図嫁迎えの人数は、奇数で五人とか七人であった。中宿で敷物を取替えて本宅に行く。婿方(婚家)の人が花嫁を宮参りに連れて行きいったん戻ってから墓参りに行く。潮来の事例一昔は仲人が嫁宅に縁談をもってきて、親が決めるのが友人などを招待しての酒盛りとなり、夜通し酒盛りをした。組内の招待三三九度のあと、親戚、知人、った。は翌日である。宴会が終るまで、花嫁は席に坐っていなければならなかほとんどすべてであった。話が決まると仲人が嫁宅に結納を持参する。これをタルイレ(樽入れ)といい、両親は仲人と一緒に酒・肴で祝う。里帰りを三日目に行ったあとは、農家では昼は野良仕事、夜は裁縫、そ朝は一番先に起き、夜は一番おそく寝るのが嫁である(話者橋本昭子)。の後仲人は婿宅に報告、婿方でも酒肴を用意し、労をねぎらい、祝う。代として半分返すので、実質は二五円であった。現在は結納金は、明治三十二年(一八九九)生まれの人によると五O円で、袴一OO万円以上昔の嫁の苦労話が種々残されている。だという。潮来の浜町の娘が、川を越えた大きな農家へ嫁いだが、姑から結納金のわりには道具や着物が少ないといい出された。子供ができたことだし