ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
と我慢を重ねていたが、その子が病で死んでしまったので、考えに考え潮来の事例ことおめの十目を嫌った。女の一つ年上はメマスといって、家が栄えると喜ばれ結婚は年廻りが重視され、三つ違いの四目、九つ違いた末、婚家を出ることを決心し、姑に「今度嫁にくるときは、道具も着物もたくさんもってきますから」といって暇をとったという。た。すりこ仲人は、両家の聞を「足を播粉にして」往復したものである。ある村から嫁にきたが、姑の「嫁いびり」がひどく、実家へ帰ることもできず、嫁にきたときの姿になって子供を背負い、河に入って自殺してしまったという悲しい話もある。}とがあり農家で手がたりないときは、結婚前半年位婚家に行って手伝いをするこれをアシイレ(足入れ)といった。式の一か月前頃家に帰昔は、結婚してから三年経っても子供ができない人は、婚家から去っり、縫物などの嫁入り支度をした。て行かねばならなかった(松崎松調査)。結納は、戦前が一O円位、戦後二OOO円位、昭和四O年年代から一00万円1一五O万円位となった。結納金の一i二割は人生儀礼第2章- 0・acp嫁ぷち・嫁たたき笠かざし盤ぬり嫁ぶち類似その他袴代として婚方に返すことになっている。嫁入道具は、結納金に応じて用意するが、箪笥、下駄箱、針箱、鏡台、張板、たらい、柳行李は、かならず持参した。嫁・婿への行為嫁入りの際、婚家ではタイマツを焚き、嫁に笠をかぶせ、「入ったら出るな」と嫁の尻を打つまねをする。祝宴は組内の人びとが手伝い、料理は料理人を頼む。三三九度の盃は、両親の揃った男・女の子供が女蝶・男蝶を第VI-34図つとめる。祝宴は四斗樽を飲み干すまで祝ったものである。式後、「仲人礼」といって両家から仲人へ謝礼をする。)の場合結納金の一割と反物を持参、その一割は、婿方六、嫁方四か、七・三が基準とされた(酒井登喜世調査)。徳島の事例明治期から昭和初期頃までは、財産、家柄に応じて親同志が取り決めたため、娘は嫁になることも、まして娘のいうことなど聞いてももらえなかった。857