ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

俗民第四節人の死と葬儀・供養VI人の死の予兆は、「烏鳴きがわるい」「火の玉が飛死と葬儀の準備ぶ」という。)の烏鳴きは、当家の人には聞えないといわれている。死期が近づくと近親者に危篤の電報をうつ。現在は電話。近くに住む者へは大病を知らせる。死の直前に「別れ水」(死に水)、または死の直後に「末期の水」といって、死者の唇を水でしめす。近親者は、死者を北枕にし、胸に刃物(詑)を乗せる。座敷第を棺の上に供えるところもある(大生原)。また親戚等へ連絡をする。家族の者が組内の班長へ知らせ、組内の人びとが悔みにきて、葬式の日取りを決める。}のとき酉の日とか友引の日は除かれる(潮来)。水原ではまず組合(五人組)に告げ、代表者が組合員に知らせる。組合員は集まって当家に顔出しをし}のとき「病気見舞」といって見舞金を贈る。葬式の日取りが決まると、近所の人びとはその役割分担を定め、葬式の準備をする。大生原の場合、手伝いは葬式の前日に六、七戸1一五戸位の小組合で二戸二人ずっ、当日も同じ。二O戸以上の大きな組合では、近所が二人ずつほかは一人ずつである。葬儀は、当家の所属する組などの単位の大小、地域の慣習、信仰等によって微妙に方法が異なるので、以下は事例をあげて述べることにする。潮来の事例一知らせは組内の人が二人一組となって、親戚等に死亡、これを「二人使い」という。知らせをうけ葬式目、通夜の日を告げる。た家では、食事を振舞い、寸志を与えた。近親者は、座敷に莫産を敷き、盟に水を入れたあと湯を入れ、死体を860洗う。このことから、通常の日には「水に湯をいれるな」という。その後近親者は、死者に左前の死に装束をし、手甲、脚幹、白足袋をつけ、よみ袋をつくり鵠を入れ首にさげる。黄泉の川を渡るためといっている。さらに生前に愛用した物を入れる。}れが入棺である。通夜は、近親者、知人が棺を囲み夜を徹して灯明、線香を絶やさなかった。現在は火葬となったので」のとき故人の姿がない場合が多い。その他の葬式までの準備は、組合の人びとの手によって行われ、当家、親戚は手を出さない(酒井登喜世調査)。潮来の事例ニ組内では、まず「先導」五人を決める。組内の男性が少ない場合でも、人を探して五人にする。帳場(会計)は二人。当家では現金一OO万円位(昭和五十二年頃から)を渡して賄ってくれるよう頼む。もし当家に現金が不足しているような場合は、帳場が銀行から借り出してくるようなこともあったが、現在はない。葬儀の手続きとして、医者の死亡診断書、役場の埋葬許可書、葬儀屋への依頼があり、諸買物がある。先導の人の麦藁帽子、晒、履物(長靴)、ほかに酒、コlラ等の飲み物、つまみ物、野菜類、ビール、ジュースおかず類、調味料等々である。昔は、町内の倉庫から鍋、釜、膳、食器類等を借りてきた。近親者は、死者が女性の場合、年齢に限らず年寄でも薄化粧をほどこした。組内の婦人達は一枚の白い着物を幾人もで縫い、短時間で仕上げ、づだぷ〈ろさらに手甲、脚紳、頭陀袋もつくった。縫い上ったら死者に白い着物をさんす着せ、手甲、脚幹、頭陀袋を付ける。頭陀袋には、三途の川を渡る六文あご銭、米、麦等を入れる。きれいな手拭いで顎から頭にかけてしばる。F)