ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
れは死者の口が聞かないようにするためである。手は合掌させ、顔にきれいな晒をかける。布団から莫座に移し、北枕に寝かせ、頭の上のあたという。りに水と線香立てをおき、香を手向ける。香は死者から出る匂いを消す通夜の日の午後から納棺。たとえば昔は煙草入れ(現在は紙巻き煙草)、}のとき故人が愛用していた物を入れる。四合瓶の酒、女性には生前好んでいた着物等である。る。神棚には半紙を下げる。祭壇は、葬儀屋が用意するため豪華になり、二O万i五O万円もかか現在ではほとんど火葬となったので、先導は火葬場へ追体を運ぶ。戦前にも伝染病等で死亡した場合は火葬で、当家では薪を買い集めて一晩人生儀礼第2章中かかって焼いたという。土葬の場合、先導が事前に墓穴掘納棺前の用意〔大賀〕りを行一った。通夜は、近親者、同級生、知人など死者にゆかりのある人びとが集まり、昔は第VI-35図一晩中起きていて遺体を見守り、故人をしのんで語りあかしたものだが、現在は午後一O時位で引き上げる。昭和八年(一九一二三)祖父の通夜のとき、家の南側の洗濯物干場へ行く入口のところで、石でも落ちたような大きな音がした。祖母は、「今、お祖父さんが旅立って行くからという知らせだよ」といった記憶がある。通夜に住職がくる前に、「カンジンコヨリ」で数珠をつくり、死者が合掌している手にかける。お経が終ると住職は通夜の「引き物」と寸志を帳場の人びとからうけて帰る。近親者は、手伝の人がつくった食事をする。通夜客は、すぐに帰らずしばらくいてから帰る。茶と茶うけを出し、帰るとき「通夜の引き物」として「通夜鰻頭」が渡される(松崎松調査)。延方の事例葬儀の日取りが決まったら、近所の人の役目として、入組んで葬儀と出棺の時間などを、当家の親戚に知らせに行く。}れを「二人使い」という。相手方では、すでに死をわかっていても、儀礼として知らせるのである。先方では待っていて、「ご苦労様でした」と述べ、用意しておいた少々の「振舞い酒」を出すことになっていた。まん同年輩の人が亡くなったときは、自分にお迎えがこないように、鰻じゅう頭で耳をふさぎ、聞えない仕草をした。}れを「耳ふさぎ」といい、自分も一緒にあの世に行かないように願うのである(西山たか子調査)。組内は七、八戸で構成されており、代表者が地区の幹事、徳島の事例ほうがん区長、法眼(念仏の頭)に報告と依頼をする。幹事(世話人)は、当家にきて葬儀に必要な積立金を用意し一世帯男一人、女一人あて何組の手伝いをうけるか相談する。区長は葬儀委員長になるので、日時が決まり次第連絡する。法眼は他の二人の念仏の年寄と当家へ行き、死者の「枕返し」の仏式を行いそれから入棺となる。昭和初期までは、組の者が二人一組となって自転車で「知らせ」に行861