ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
万円、一人の場合一万五OOO円、をついで廻る。また「骨折り料」として寸志を出す。夫婦二人の場合五はとくに大変だった。現在は、「海苔巻き寿司」の折詰とか、食事代として現金五OO円かを洗い、拭き、また膳に盛り付けて出すので、物不足、冬の寒い日など物がたくさんあるときは、分けるところもある。手伝いの人びとは、線ほかに品物を出すところもあり、供香をもって墓参りに行く。以上で葬式は終るが、なお食事についてふれておく。昭和二十五年頃一OOO円を袋に入れて出すところもある。または手拭い一本位、葬式の引きものは、昔は郵便はがき二、三枚位、の葬式の日の食事は、「猫足お膳」に漆の器で、近親者、会葬者に出さ}んにゃく、られたが、上流の家庭でも晒一反であった。現在は生活改善でタオル二本位と決めきんぴら牛秀、豆)、漬物を用意する。れた。組内の女性はご飯を炊き、煮物(がんもどき、椎茸、だんだん派手になり、弁当、酒一本(二合瓶か四合瓶)、茶か一人ずつの膳で、食べ終ると器人生儀礼第2章タオル三本箱入りになっている(松崎松調査)。神葬祭を行う家が一二軒ほどある。みこと死者は神主から名前に「命」が付けられる。仏潮来には、式の葬儀とかわりないが、火葬祭、通夜祭、遷野辺送り〔大賀〕と新しい墓〔江寺〕霊祭、発枢祭、葬場で埋葬祭、帰家祭が行われる。葬列順は、銘旗(白、赤)、白旗、榊持ち、tu,、しゅ写真、木主、家族、知人等である(話者佐竹すみ子、松崎松調査)。延方(西区)の事例葬式の日の「門送り」は、昭和十五年(一九四O)頃まで、男は紋付、女は白無垢を着用した。翌日の墓参は江戸棲を着た。葬列の順序は、最初に提灯、花輪、僧侶、近第VI-36図親者、野辺送りの人。墓から戻ってくるとお手伝い衆が「地蔵参り」をする。忌払いには、昔は葬儀手伝いの人が餅をつきぼた餅をつくり、酒やご馳走を出したが、今は大福鰻頭を買ってきて、三十五日思、四十九日思の餅としてすませることが多い(西山たか子調863