ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗民VI査)。延方(須賀)の事例葬儀用の「お棺」は一式大工に頼んでつくってもらう。棺の上に被せる屋根形、棺をかつぐ台、塔婆も同織である。死装束は組の女性らが晒の生地を用いみんなで引っ張り合って縫う。頭ゆかんにつける三角布、頭陀袋、手甲、脚紳もみなで縫う。湯濯は盟を奥の間において、水を先に入れ、あとから湯濯をする。そのあと白装束を着せ、頭陀袋、手甲、脚紳を付け納棺する。湯描憾の水は、床を剥がして縁の下にあける。出棺、野辺送りのとき、先導は五人、一人がユウタツ棒(天蓋)をもって棺の上にかざして送る。棺がお日様にあたらないようにする。墓に棺を葬ってから、塚の上で藁を燃やし、塔婆を立て、モガリを差す。墓には家形を被せるところが今でもある。現在は病院で死体を拭き、葬儀の棺、祭壇、生花、花輪、木碑等一式葬儀屋が揃えるようになった。モガリをつくるのは先導の仕事。竹を三0センチメートル位の長さで864ー、寄り‘四九本つくる。さらに七0センチメートル位の竹で輪を二つつく〔曲松〕り、四九本のモガリを「かんじんこより」でしばる。次の日の墓参りから毎日きて、一本ずつぬく(高野内秀雄調査)。延方(宮前)の事例葬式は町内で行う。ガロクシャク(六尺、先導ともいう)は墓穴掘りもする。親戚から「大先モ導」が出て、墓地までの道案内をする。第VI-37図葬儀の分担は、知らせ、寺使い、帳場(受付)チュウヤド(中宿、休憩所)。故人と同年輩の主として老人は、ミミフサギ(耳塞ぎ)を行う。棺をおく場所は奥の座敷で、棺は寝棺。納棺はニッカンという。出棺のとき、マキセン(撒き銭)をし、出棺のあと、年寄りが念仏を行ぅ。葬儀行列順は、花輪、棺、大先導、供え膳(枕飯)、近親の人びと。帰ると塩水で手を洗い、酒を飲んで「厄払い」をする(篠塚平一郎調査)。延方(徳島)の事例葬式の食事は、昔は精進料理の膳であったが、今は寿司折にかわった。棺は昔はタテカン(立棺)、今はネカン(寝棺)である。野辺送りの行列順序は、花輪、生花、造花、簡盛、木碑、僧侶、位牌、写真、棺、竜立、供物(枕飯)、念仏講、家族、親戚、その他である。出棺するとき、手伝人は座敷を掃ききれいにする。帳場は決算整理を行い当家に引継ぐ。葬送人(家族、親戚)は、埋葬して家に帰ると、塩や水で身を浄めたあと、墓参りをし、寺へ地蔵参りに行く。帰るとシンノウといって、当家と親戚の者は精進料理ではない魚料理や酒で手伝人をご馳走してお礼をする。次に葬儀に要する親族、親戚の費用について述ぺょう。独立した子供らは、玄米二俵(現在約四万円)、香料のほか、男働き、