ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第三章民間信仰第一節杷られる神と仏現在『茨城県宗教法人名簿』に載る潮来町内の神社と宗教法人名簿の神社と寺院寺院は、第mul表および2表のとおりである。lま油〉にキリスト教系の日本パブテスト同盟潮来教会と諸教系として天理教系潮来分教会があるが}の章では、古来から人びとが杷り崇めてきた神社、寺院や神、仏を対象に民間信仰を述ぺることにし、、、04,、hw表示の神社と寺院は、近代の村あるいは近世の村といったひろい範囲で信仰の対象になっており、戦前神社には社格が定められ、国幣社、県社、郷社、村社、無格社に分けられていた。たとえば、郷社は潮来町の素驚熊野神社、大生原村の大生神社、村社は津知村辻の硯宮神社、同築仰地の熱田神社、大生原村釜谷の聾森神社、同水原の香取神社、稲荷神社、うぷす伝延方村延方の鹿島吉田神社である。これらは「村」の鎮守あるいは産土信神とされ、その村人達が信仰し杷ってきた。間戦後の宗教改革の中でこうした各社の社格は廃され、昭和二十七年民(一九五二)宗教法人として登録されて存在するのである。第3章ふたたび宗教法人名簿に載る神社をみることにしよう。まず神社名の中で、素鷲熊野神社、鹿島吉田神社がある。素驚神社と熊野権現、鹿島神社と吉田神社が合殿になったものであり、素鷲神社は天王社が改称されたものである。また硯宮神社は、別称・通称で今宮八幡神社、月読神社は二十三夜尊、鹿島吉田神社は諏訪様などといわれている。このような状態は、過去における神仏習合の時代や、まったく別名の神社が杷られていたことを示すと同時に、主として水戸藩の社寺改革、明治期以降の政府による宗教政策に由来することが多い。したがって、現在『茨城県宗教法人名簿』や『茨城県神社誌』に載る神社、寺院のみでは、人びとの信仰の状況はみえてこない。人びとの信仰する神と仏はまだ多く、町内の各所に宗教法人には登録されていない社寺洞堂、石仏、石塔、同族神、屋敷神などが多くある。また現在は存在しないが、過去の史料には存在していた社寺嗣堂もある。こうした存在は、人びとの信仰とくに庶民の生活に密着した信仰を知る上できわめて重要なのである。第W H 13表は、前にあげた神社の配杷神と境内に杷られる小社である。宗教政策的に、あるいは村や家の事情によって、主として鎮守的な位置を占める神に合杷または移動したことにより、また村の合併により、さらには村内で新たに本社から分霊・勧請した結果であろう。この場合、合殿合把とせずまだ新たに社殿、小嗣を設けないで配杷とする例がある。こうした配杷神や境内神社の存在からも、人びとがどのような信仰をー:;、t下3LふlhAMどのような神を必要としたのかを知ることができる。867