ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗民VI一言)成就院(真言)文殊院(天台)宝蔵院(真言)このほか、かつて存在したと伝承される寺堂に、潮来地区の明楽院(六丁目)、観音堂、大師堂(西丁)、薬師堂(七軒町)、道慎坊H薬師堂、延方地区に、東向院、宝性院、東光院、善明神、徳本房、善光寺、薬師堂があったという。すでに失われた社に蛭子社がある。エビス社は、エビス信仰によるのであるがエピス信仰はかなり複雑である。西日本を中心にひろく分布するエピス信仰は一般に福運、金運を目的とするが、海岸地帯では漁業神としての信仰もある。潮来にあった蛭子社が、仮に兵庫県西宮市にある蛭子神社の勧請とすれば、「市神」としての性格が求められるかも知Lt、。オ右し874失われた信仰関係で特徴的なのは寺坊の類である。}れは水戸藩の宗教政策とかかわるものであるが、明治政府による宗教政策の中で修験社〔宮前〕(山伏)の院坊の消滅はきわめて顕著である。すなわち勢力のあった八大坊傘下の多くの院坊が消えている。したがって人びとが病魔退散を祈願し、その手段としての加持祈祷の類は、明治期以降には衰退することに天-l占っ・?dJチJムノ\地名は社会の暗黙の議決を経ないと成立しない。し大信仰関係の地名たがって誰もが納得して命名されてきたのであって第VI-51図命名方法の一つに、人びとの信仰の対象となっていた社寺嗣堂、石仏・石塔、塚などの存在が基準となりやすかった。潮来町の地名にも信仰関係地名は多い。こうした地名を抽出し、現在の社寺嗣堂やかつて存在した社寺嗣堂を推定してみると次のようになる。(、-ノは、現存しないものである。潮来地区宮内・禰宜脇・天王台・天王山・天王免・権現免・権現免苗代・天王免頭素鷲熊野神社(天王社・熊野権現社)大六天山(大六天社)弁才天・弁天山・弁才天下弁財天社伊勢山(伊勢・神明社)浅間下富士・浅間社鷲JI鷲の宮弥陀後長勝寺または(西円寺)水神下水神社稲荷山稲荷社