ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
秩父、善光寺〔山岳塔〕(種類、〔嗣〕を含む)出羽三山、大山石尊、富士、御獄、尾撃、石裂、足尾、高尾、秋葉、愛宕、加波山、三峰、妙義〔石神塔(嗣)〕(種類)道祖神、天照皇大神、伊勢大神、稲荷大明神、水神宮、妙正大明神、素鷲熊野神社、諸神、赦戸大神、幸霊殿、お里宮、淡島神社、日本武大神、熱田神社、七面大明神、蚕玉神社、多賀大明神、山王権現、天王宮、日光大権現、霊符尊神、雷公神、井戸神、山神、青龍宮、弁天宮、金比羅宮、天満宮〔鳥獣塔〕馬頭観世音塔〔記念碑〕(種類)社寺関係、奉納関係、公共事業、軍事関係、顕彰碑、文学碑〔奉納物〕鳥居、灯龍、手水石、狛犬、獅子、神狐、石段石柱、社等標柱〔その他〕道標、墓石、万霊塔、無縁塔、五輪塔、宝匿印塔」れらは、一部の記念碑を除きいずれも信仰の結果として造立される仰信間民第3章もので、木造の社寺洞A呈のほかにも、、a-v』、U AM-e多くの信仰があったかを現わしている。むし三又路の道標〔築地〕こうした石仏・石塔、石造品の中にこそ、ろ庶民がその生活の中でさまざまな神仏を必要とし、信仰の心意を表第VI-59図現しようとしていたかが窺われるのである。ところで、ふたたび石仏・石塔類造立にふれるが、近世以降の造立がきわめて盛行するない時代の出現によって、よるのであろうか。徳川家康によって最終的な全国統一があり、戦乱ののはどのような理由に馬頭観世音塔〔将監〕一応平穏な村落社会が維持し得たことも理由の一つであろう。同時に前時代にまさる経済の活発化、交通運輸の発達、情報交換の広域化推進もあげられよう。たとえば、石仏・石塔をはじめとする原材料の石材は、潮来を含めてこうした石第VI-58図この地方では産出しない。したがって中世以前においては、造物の造立はごく限られた人びとによってのみ可能だったのである。それが庶民にも可能となる江戸時代には、原産地の石材業、交通運搬、在879地の石屋・石工の存在が明確に位置づけられるようになったからであろ