ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
潮来地区西町1浜町の観音講、大洲の日待講、津知地区新町の二十三夜講、薬師講、延方地区下回の水神講、古高の子安講、大生原地区水原下組の伊勢講、釜谷の水神講、大生の二十三夜講、大賀の二十六夜講、峰講がある。講の衰退・消滅の問題は、日待、巳待、子待講等や遠隔地参拝をともなう講、数多い月待講の再編、講の構成の状況などが関連するように考えられるが、複雑な要因もあって一概には述ぺることができない。講の構成もまたさまざまである。概観的にいえば、広域集団、地域集団(旧村川大字、組)、家族集団、同族集団、年齢別集団、性別集団等が存在している。こうした講集団は、それぞれが年中行事、信仰行事とも関係しており、講という名称を有していない場合でも、講集団の行事と同じものもある。したがって、講の実態は多種であり多様であるから、個々の講について説明することが必要となってくる。次に講の種類とその実際を、若干の事例をもとに記してみることにしよう。仰信間民第3章講と信仰と行事一かんし〔庚申講〕庚申信仰とは干支の庚申にあたる日に行わ日待である。中国の道教によれば、人さんし聞の体内にいる三戸(三戸虫ともいう)が、人の早死れる行事で、を早死させる。を望んで庚申の夜に就寝中に抜け出して天帝に罪過を告げ、だから長生きをするには、庚申の夜に身を慎んで徹夜をそのため人日本では奈良時代末頃からこの信仰があった。庚申塔や庚申講行する。事の掛軸に三猿があるのは、天帝の神使として猿が位置づけられ、天帝の本尊は青面金剛、に悪事を「見ざる、聞かざる、言わざる」ことを意味するという。庚申また神道と結びついて猿田彦大神とされている。庚申の日のほか、庚申の年には庚申塚を築いたり、庚申塔を造立することがあり、潮来地方の庚申塔(「庚申塔」「猿田彦大神」の文字塔、青面金剛像塔)も庚申の年に造立されたものが多い。潮来地方で現在行われている庚申講は、当番(持ち廻り)の家に集合し、している。庚申様の掛軸を掲げ、飲食をし--、、--J、チ'サ''}しそれぞれの講中では少しずつ異なっており、全体と一二時過ぎに解散するなどの点で共通して簡素化、省略化の方向にある。庚申の日は二か月に一回、つまり一年に六回であるが、庚申様の掛軸潮来地区西町の年二回、津知地区貝塚では年六回、fこだし当番の都合のよい日。延方地区古高では年六回で庚申日の品別である。一家の当主である男性を中心とするのが一般的、したがって年齢は約三01八O歳位で高齢化し第VI-62図ている。延方地区徳島、米島、福島では、年齢を問わず各家から一名の参加である。大生原地区水原では、当番の家ではなく、集会所で行うところもある。時間についても潮来地区西町は勤めの関係上、午後八時から一O時883