ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
かげもかたむくっきとおし〔念仏講〕現役を退いた男女の老人達の講中であるが、地域内の農事、疾病、安全を祈願する役割をもっている。津知地区員塚では、男女七Oー八五歳の老人が毎月一日と十五日に、熱田神社の社務所に午後集まる。お題目を唱え、当番制で持ち寄ったお茶を楽しむ。また土用の三日目五、六人が集会所へ集まり、お題目を唱え、鉦を叩きながら田を一周する。帰ると農家からの礼金でお茶を楽しむ。延方地区徳島の念仏講は、男女七0 1八O歳の念仏講中が、則霜寺にかね-』し一月十六日の鐘越、二月一日の百万遍、四月八日のお釈迦様、集まり六月一日の虫追い、八月十六日の流し年仏、八月二十四日の施餓鬼念仏、九月彼岸中日の彼岸念仏を行う。また、念仏老人会二O余名は、十二月六日の水戸黄門祭に参加し、その命日の供養をする。旧正月十六日の鐙ほうがん越は、則霜寺で法眼が責任者となり、観音経、般若心経を唱える。年のはじめなので「鐘起し」の意味であろう。二月一日の百万遍は、念仏講の人びとが集落の全戸を廻り、各座敷で大きい輪の数珠を廻しながら不動経を唱える。各戸から寸志ののし袋が渡される。家内安全、病気・災難除けの行事になっている。大生原地区水原では、毎月十六日と春秋彼岸に念仏堂、集会所で念仏とうや供養が行われる。御馳走は会費と当家(当番の家)で準備する。また、地仰域内に葬式があるときは参列し、送葬する。信〔大子講〕弘法大師を信仰する人びとの講である。延方地区徳島では、間七01八O歳の男女老人が毎月二十一日則霜寺に集まり読経をする。ま民た大師参り講がある。信徒の念仏男女一OO名以上が洲崎の普門院を出第3章発、ほら貝を吹き、「南無大師遍照金剛」を朗唱しながら村むらを歩き廻る。希望する家の門口で「お立寄り」といって、供物・御馳走をうける。とくに新盆の家では追悼和讃を朗唱して供養する。}の巡廻は半月以上におよぶため、女性の年寄達は菅笠をかぶり、脚鮮を付けた。巡行先々の村の信者は、御大師様が廻ってくる日になると握り飯や魚を用意して接待した。現在四月頃多くの信徒が日帰りコlスで歩く。大生原地区水原には弘法大師を杷る大師堂(弘法様)があり、毎月二十一日に大師講がある。講中や信者が水原中を巡廻する。一方、太子講というのは聖徳大子を肥る講で、大工職、畳屋、鳶職、左官職、表具師、網職といった職業集団(組合)を中心とする。潮来素鷲熊野神社には、桶職組合によって造立された太子塔がある。その他の諸講については省略する。887