ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

ものである。前出の東中根遺跡の四号住居跡は火災を受けた住居跡で、土壌改良をしなければならない、静岡県にある登呂遺跡は、阿部川の氾使用したりするが、本来の目的は、生活にもっとも必要な煮炊のためのどを使った谷水田が主流であり、何年も作物を作ると土地が痩せるため、らなっている。中央附近に炉を設置し、室内の灯りや、寒い時の暖房にまり行われていなかったことが考えられる。稲作の多くは、谷や谷津などが隅丸方形で一辺四1五メートルの平面形をもち、平均四本の支柱か縄文時代当時とあまり違いがない。このことは、稲作による定着化があこの時代の住居跡の構造を、調査されたものから復元すると、ほとん弥生時代の集落が、県内各地に見られるようになるが、集落の規模は、溝が巡らされているのが見られる。器は、後期中ごろのものの隅で丸あ方る。て531電三V~〈三)~~ミミ三三こE4璽ヨ:)~形の住居であったようである。出土した土E原始・古代o 10圃(1)ー(9),(1 )10ー""'----'~20\l・hー_圃.> =-SJω(10) (10)・出土地・時期0)-(η韓国松菊里I期併行位)佐賀県菜畑縄文晩期(3)福岡県下稗田I期末(4)愛媛県西野中期(5)大阪府巨摩廃寺。w.y期(6)-(1)福岡県栗原V期(8)佐賀県菜畑ーI期(9)福岡県大板井田期1曲岡山県上京…V期名称oト(4)石庖丁(5)木庖丁(6)鉄庖丁(手鎌) (7)-(8)石鎌(9)鉄鎌側先端に(1)をはめる鋤(1)鉄製鋤先,鍬先(鉄刃)部で、残された壁の状況から、一辺四メートルほどよって壊されている。残っていたのは、壁と床の弥生時代後期の住居跡は、古墳時代後期の住居に五基、埋聾一基、柵列四条、講一条である。の館跡に伴うと思われる掘立柱建物跡八棟、土坑六第I -19図住構居跡は、一軒縄文、時古代墳中時期代の後住期居の跡住三居軒跡、一弥五生軒時で代、後中期世の伴う調査を実施している。調査区内で確認された遺弥生時代の農具一年(一九八六)茨城県教育財団は、道路改良工事に}のうち調査された遺跡は、塙遺跡で、昭和六十みである。嵐城跡、築地妙高寺裏遺跡、大賀塙遺跡の三遺跡の潮来町内で確認された弥生時代の遺跡は、大生鳳け落ち、床にコメがパラ撒かれたようである。ようなものに入れて梁に吊っていたものが火事で焼状況から判断するとコメは日常に使うため、袋の撒いたように焼けたコメ(炭化米)が出土している。焼けた建物の部材が残されている。その中に、床に78