ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

俗民VI礼、北浦村山田、美浦村古渡、土浦市真鍋の祇園祭にもみられるもので898ある。礎山家現当主の先々代は、祭礼前七日七夜水を浴びて浴び垢りをし、七、八畳の板行場で炊事をし、そこは女人禁制であった(別火)。食事も四つ足ものは食ぺず、キュウリはつくらず食べなかった。また下肥はいっさいいじらない。生涯丸坊主でとおした。先代は戦争で戦地へ行き、食物もなく蛇まで食ぺたというので、神輿には祖父の言にしたがって乗らず、神輿の供をするだけだったという(磯山きよ氏談)。きびしく身を磯山源兵衛の子孫磯山正男氏慎しんでいたことがうかがわれる。また神輿に乗っても絶対に落ちることはなく、それにはコツがあったという。潮来の「大漁節」にも「七ツなかなか磯山源兵衛は神輿に乗っても落ちゃせぬコノ落ちトセやせぬ」と唄われている。手にもつサデ網は、以前は大きかったが、次第に小さくなり、倉の中に一O箇位あったが、天王様に関係するものとともに前川の埋め立ての第VI-76図ときに埋め、最近の使用したサデ網は、神棚に奉上されている。潮来祇園祭の「お浜下り」は、神社草創の伝承にもとづいて行われ、その神事に神を杷った古伝を表現していることが明らかである。なお、潮来町内で神輿浜下りの形式をとるのは、大洲大六天社、水原の八坂神社、宮前の素鷲神社などの祇園祭礼がある。