ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
の祝いの言葉に合わせ乾盃。七祭事係より要請ある時、大生区長、氏子総代は、亙女舞ならびに奏楽員七人蝶子の伝習成果について、祝辞と意見を述べる事ができる。J\招待者は時間を見て提灯に点火、祭事関係者、亙女当家に挨拶して、退座、聞をおいて参会の一同も解散する。さらに亙女舞は、十四日の「前夜祭」にも奉納される。夏女舞は後退三回、一進二回を繰り返して一回目を終り、二回目は同様の所作を行い、神前を一周して終る。五座ないし七座を舞い、約四O分である。十五日の御本祭当日、亙女、座主、奏楽員等関係者は公民館に集合、大生神社仮宮(掛軸)の神前に座し、酒肴ののち出発となる。昭和三十年頃まで、亙女、奏楽員は山車に乗り、村人に曳かれながら神社に入るのであったが、現在は祭事係によって、背負われまた肩車で神社に入る。亙女舞神事は、午後二時頃にはじまる。亙女の装束は、浄衣、緋袴、垂髪。頭に紅白の水引を結び、背に幣をしばる。右手に幣、左手に鈴をもち、神前に向かって幣と鈴を上下し、終って舞に移るが、その所作は前夜祭で述ぺたとおりである。神前の舞は撰太鼓のみとなる。すべての祭儀が終ると亙女が送り届けられる。神前の祭事に参列した者は参道入口まで送り、そこから祭事係、祭員によって乗込み同様の形祭礼と芸能で一民る。このとき「鹿島の宮山東方余豊土:::」という鹿島祭頭嚇子を歌いながら進み、公民館に至る。翌日、祭事関係者によってコロ向払」の行事があり、本祭の全日程が終了する。この神事の諸道具は、亙女用を除き、楽器(神楽太鼓一、笛二、小太第4章鼓一、大鼓て小鼓て大太鼓一)、楽人格衣七領、役員格衣五領、亙女山車一台で、芸能を行う人の構成は、亙女て亙女座主一、楽人七、楽人助手二、三、氏子総代五、区長一、祭事委員二、世話人五人である(根本甲子男「大生神社祭儀亙女舞い」『常陸大生古墳群』所収、茨城県教会『茨城の無形民俗文化財』、藤島一郎「大生神社亙女舞神事について」『と潮来』第九輯、大川文「大生神社の亙女舞神事」『水郷の民俗』創刊号などを参考。とくに大川文氏の教示に拠るところが多い)。さて、亙女・亙女舞には、どのような意義があるのだろうか。大生の場合、亙女をミコと称し、神前で幣と鈴を持ち楽奏とともに舞う神事として実施されている。一般には亙女は、ミコまたはフジョといい、神がかりをして神意を託宣する女性であり、それが古い姿であった。亙女は二種類に分かれ、一つは神社に所属し、鈴を振り扇をもって神みこ、さいもん楽を舞うなどの神事を司る神社神子、もう一つは民聞を遊歴して祭文を語ったり、死霊の口寄せをする歩き亙女で、発生的には前者が古い(桜井徳太郎「亙女」『日本民俗学辞典』)。大生の亙女は、)の前者に属するが七歳から二二歳の少女が民聞から選ばれて亙女舞を行う点で、より古式かと思われる。903