ブックタイトル潮来町史

ページ
926/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている926ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

俗民VI閉居後現在の屋敷内へまた移転した。源右衛門とは園部家の先祖の名であるという。例祭は初午、初午の祭り〔築地〕毎月一日が縁日である。芸妓や水商売の人、近所の者も参拝にくる。社への供物は、油、油揚、赤飯など。当家では初午に第VI-85図鳥居を奉納、また講の人は二年に一回奉納する。津知地区築地の「お稲荷講」は、三組(九戸、八戸、七戸)あり、各戸の主人で構成されている。午の日の夜、当番の家に集まり酒肴で講をする。当番は各戸持ち廻り。初津知地区辻では、家々の守り神として稲荷を杷るところが多い。初午には「正一位稲荷大明神」と書いた赤い臓を立て、赤飯、油揚等を供えて祭りをする。子供らは、赤、黄、紫、緑、青などの色紙(縦一八センチ、横二一センチ)を張り合わせた臓を篠竹に結わえ、お参りをする(石井芳子「潮来町の民間信仰」『水郷の民俗』創刊号)。大生原地区大賀では、女人講の一つに「稲荷参り」がある。春彼岸と旧二月の初午が重なったとき「七稲荷参り」といって、七か所の稲荷様を廻る。廻る順もきまっている。彼岸と初午の日が重なると「火ばえ」といってこの年は火事が多いとされているからである。何日かすぎると914お礼参りをする。前のときと反対の順に廻ることになっており、オサゴ(米)、妻銭を奉納する(原喜代子「大賀の女人講」「水郷の民俗』創刊号)。そのほか大生原地区の水原根本には、女人中による「十稲荷参り」が毎年初午に行われており、釜谷・大生にも女人中の稲荷参りがある。以上のように、潮来町初午における稲荷社の祭りは、赤布の臓が立ち、また子供らによる色とりどりの小さな臓が立てられるなど、華やかな風物詩がみられるのである。水神は、河川、湖沼などの水辺に主として-杷られる神で水神信仰とその祭りある。分布は県全体にわたるが、その中でも利根川、霞ヶ浦などの県南部に集中する。潮来は水郷の名があるだけに水神社の数が多い。潮来町郷土史研究会が神社調査を実施し、さらに調査を加えた藤島一郎「潮来町の水神社」(『水郷の民俗』第二号)によると、第W H 18表のとおりで、潮来地区七、津知地区一、延方地区二三、大生原地区七、合計三八社となる。水神社は石宮などの小嗣が多く、祭日は春二月と秋九月に集中し、春・秋両度に行うところもある。舟着場・荷揚げ場付近に杷られたものが、改修・埋立てなどの工事で移転を余儀なくされた状況もうかがわれる。また古くは潮来地方以外の水運関係者が建立した水神社もあり、往時の潮来盛況の一端を物語っている。祭神は美都波女命、水波能売命、弥都波能売命、水速女命、岡象女命などと書かれるが、いずれもミヅハノメノミコトと訓む。直江広治「利根川流域の水神信仰」(九学会連合『利根川|自然・文化・社会|』所収)では、水神信仰の諸相を、付飲料水の守護神としての水神、口濯概用水にかかわる水神、白筏乗りや船頭が信仰する水神、回漁民が杷る水神、回水難