ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

配られる。くる。婦人達は前日、当日に奉納品を持参し、行事終了後出席者全員に一人分風巴敷二包み位はあるという。神前の式順は、まず二人が大太鼓を叩き、七人が唄い、残り全員が朗唱する。終了すると、次の中太鼓を二人が叩き三人が朗唱、残り全員が)れが「みろく踊り」である。徳島みろく踊りの歌立って円陣で躍る。詞等は次のようである。(今日)ぺ今日のお酒盛りは花のよ遊びをさしあげるおぶすな様のご法楽(道しば)皆いずれおそろえ申してぺ道しばを踏み分けて参り申すおぶすなよ(あれ見ょや)当年の悪しきことをばけぬげてたまえおぶすなよあれこそや州、あれ見ょや磯の浜でかけのね見えそろ(十よ七)おなが鯛を釣りあげておぶすなさまへの州、十よ七な(ソリャ)百した小袖だサ(ソリャソリャ)ソリャエ)なぜに小袖が(オーナーョl)破けた(ソリャエ祭礼と芸能ぺ鹿島ではぺこのごろは鹿島参りでそれで裾が(オーナーョl)おもしろいのが護摩堂で御手洗ぺ御手洗で州、ごまたけど州、おもしろや第4章州、清き神だち(磯子)破けた稚児が舞いそろた護摩堂でごまたくただもたかねであとでみろつづいたおぶすなごもり}がねさささんうしろではまえには踊り立ちそろ州、千年千年千年(ヨlイヨlイヨイヤサヨイサト)はやせば神も喜ぶ(ヨlイヨイヤサソラソラ)みかしょの弁財天悪魔はらって(ヨlイヤサ)(ヨlカンlベヨlカンベ)悪魔をはらって(ヨlカンベヨlイヨイノヤサ)(高砂)州、高砂の尾上の松を幾千代も代経たるためしには御子孫も枝葉も繁るなおいつまでもいきの松刊、おぶすなの御神木に黄金の花が咲き揃う片枝は十五夜お月もう片枝はおぶすなよ(千秋楽)ぺ四海波こそ国治りて千秋楽とはお目出たいこのほか、「高砂屋形」「徳島あめ屋歌」があり、現在唄われる歌詞の種類は多い。こうして酒盛が行われ、玉子酒が一人々々に注がれると、飲み干した者から順に持ち歌を唄う。ご馳走を食ぺながら盛大になり、最後にそれぞれに奉納品が配られて終了する。みろく踊りの由来は、昔毎年正月七日、集落の代表者達が鹿島神宮に初詣でをし一年間の平和、円満、繁栄を祈願した。神のお告げを当番と決め、帰ってから把り飾られである神前で、御宝楽の歌に合わせてみろく踊りを踊り廻して、集落の安泰をさらに祈願したことによると伝えられている。行事は毎月一日、十五日で、現在の開催月・日は戦後の改善によるものである。徳島の水神祭が、潮来地方の中で水神講よりも盛大に年々行われているのはなぜだろうか。一つには、宝永四年(一七O七)水戸藩主徳川綱僚から原野地百間四方919