ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗が下賜され、920それが寺の敷地、墓地、小学校敷地、水神祭の費用にあてられる耕地などの共有地となっていることがあげられよう。耕地は当番、民下番が収穫し、俵で約一OO俵(一俵六0キロ)になる。祭りの経済的基VI盤が確立していることである。もう一つは、延宝七年(一六七九)の開拓入植の二O軒、そして分家といった系譜がさまざまな点で生活基盤を支えており、集落の歴史が明瞭なことである。それは集落を構成する家と人の生活・行動を規制する一面をもっ。だが同時に集落の団結や共同の祈願そして郷土への愛着をも強固なものにしている。さらに付け加えるならば、現在こそ徳島は延方・潮来と陸続きになっているが、これは比較的近い時期のことで、かつては舟で往き来する交通のみであった。約三OO年にわたるこのような環境が、伝承の保存に効果的な影響をおよぼしているのではなかろうか。