ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

と。そんな話があってから、鎮守様の竹は、誰一人として切る者はいない(茂木茂徳「恐るべき迷信」『ふるさと潮来』第七輯)。〔潮来と香取の境界〕「潮来と香取との間には出島が多く、下総と常陸の両国の墳は昔からややこしくこの辺は境界争いの起り易い土地であった。出島の一つは所属不明で争論になったが決着せず、終に訴訟となって両国の近接する村から圧屋さんが白洲に顔を揃えた。公事奉行は『下総に属するといい、常陸に属するという。いずれに理があるか、証拠のないものを争論してもムダであろう』と両国の庄屋さんに向って云った。すると下総方の圧屋は粋人だったか、『証拠として古い唄がござります唄ってみましょう』と答えて『潮来出島のよしまこも君にからせて我れさLご』と唄って、その意味を詳しく奉行の前で説明したら、常陸方の庄屋はそれに対する反証をあげることができず、出島の一つは下総方にとられてしまったという話がある」(いはらき新聞社『茨城の伝説』)。〔潮来出島の十二橋〕十二橋は千葉県佐原市の加藤洲に属し、昔加藤某の所有地であった。加藤は潮来の女郎あやめ太夫に恋して通いつめた。途中にある橋は一二なのに一つこつと数えながら行くと一しかない。毎晩同じだった。昔話・世間話と伝説ある夜そのことを太夫に語ると太夫は笑って「一橋は妄の顔でありんす」と答えた。恋の虜になっていた男の頭は、もうろうとしていたに相違ない(『茨城の伝説』)。黒森伝仁門は富有者の話、鎮守様の竹は樹木等の禁思・崇りの話、潮来と香取の境界は、土地を失った話である。どこでも多く採集されるのが、世間話の中で、ムジナムジナ・キツネの怪異キツネの怪異謹で、どことなく親しみのあるタヌキ・キ第5章ツネに化かされた話、化かされなかった話、タヌキの揚げた月、キツネの提灯、キツネの嫁入り等である。〔ムジナに化かされた話〕徳島に住む茂木武司氏が若い頃の話というこの頃の農家の水稲作付は、化学肥料を買うほどの金もなく、川の泥を農船に積んで水田に運び肥料にした。茂木氏は親父の商売を手伝うため、東京から伝馬船で銚子港まで行から昭和初期であろう。き、そこでイワシの煮汁を買い、約一O里ほどもある常陸川を漕いでくるという大変な仕事をした。イワシの煮汁もまた農家にとって貴重な肥料だった。わにがわ鰐川から川堀をのぼり、現在の神栖町深芝の農家に売り、ここの川岸に一晩泊ることになった。自宅まで三01四O分かかるのだが、入浴のため自転車の灯りをたよりに自宅へ向かっていた。ところが、うしろから一台の自転車がライトをつけて走ってきたので、「どこまで行くのですか」と声をかけた途端、自転車の姿がみえなくなり、農家の近くの大きな松の木の上にライトが光っているのでおどろいた。}れはムジナに化かされたのだという。(話者茂木武司(大正三年生)採話額賀熊雄)〔ムジナ渡り〕ムジナにね、しょっちゅう化かされ、化かされしてたので、「ムジナ渡り」って名前をつけたそうですがねえ。||場所は、山ん中の、田と田のこう、田圃と田圃のこう、中央に道路があんですよ。そこを「ムジナ渡り」って今言ってますけんど。やっと歩ける道だよ。今でも化かされて、「おかしい」ってるうちに、お前、尻捲くって、「おお深けぇ、ってお一則、あの道ば歩ったわめだおお深けえ」っちょ。(潮来話者辻某女採話鶴尾能子)鶴尾能子氏によって、兼原かね氏からキツネにまつわる六話が採集さ925