ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

墳がある(『古高郷』)。埋葬したところである。塚は江作からの入り口の畑中にあり、近くに古この六部の墓所が六部塚で、老松一本がそびえていたが、今では地形から七日七夜、〔六部塚〕日本六十六か国めぐりの修業を果した六部が、浅間山の山頂供養塔には、もかわり、松も枯れ、六部塚の供養塔も、道端に移されている。お経を唱えながら、自ら墓穴を掘り続けていた。また鉦奉納元様九歳丙子九月吉祥日をたたきながら立行をしていたともいう。大乗妙典扶桑六十六州霊迩成就所そこへ圧屋の今泉新右衛門がとおりかった。六部は庄屋をみつけると、常州行方郡延方村住息慈了無敬白のどこかに極楽往生ができる」といって、所望した。庄屋は三固まで鉦に水を運んでやったが、六部は「これで心と文字が刻まれている(『古高郷』)。おさとひめ〔小里姫の塚〕赤松宗旦の『利根川図志』に、潮来「大乗院淡島明神の地内にあり。小里姫は島崎左衛門尉殿の姫君なり。今に小里といふ古跡「庄屋殿恐れ入りますが、水をこの鉦に一杯いただきたいものです」とその場で息をひきとった。昔話・世間話と伝説第5章烏帽子掛松〔曲松〕第VI-95図の地名あり」とある。}こは、中世島崎城落城後、小里姫が余生を送った地とか、あるいは自害のところとかいわれている(『ふ社〔釜谷〕るさと潮来も=第ノ\輯日20本i武j尊2日本武尊の歴史上の人物常陸に関係する伝承は、神『古事記』『日本書紀』に森も載り、とくに『常陸国風土記』行方郡の翌条は、その記事に満ちている。またその他第VI-96図の伝説も多く、すでに、山田巌が『茨城県総合郷土研究』(下巻)の中で風土記の記事とあわせて二二か所を記し、堀一郎は『我が国民間信仰史の研究付』に、風土記の七か所をあげ、地名伝説に四二パーセントにあたると述ぺ、藤田稔は「日本武尊の東征伝説に関する常陸の伝承」(『茨城の民俗』929