ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
に関する女郎や芸妓らの信仰の中心であった。戦前には白い紙で牡丹のような花をつくり、神前に供え参詣ののち、その花びらを一片ずついただいて持ち帰ると商売繁昌、蓄銭のご利益があるといわれていた(磯山二郎「潮来弁天余話」『ふるさと潮来』第五輯)。水神様と蛇潮来と前川をはさんで十番には、大小の江聞が数多くあり、江聞から江間へは丸太や木造の橋がかけられて人びとの通り道になっていた。あるとき、十番の親孝行の息子が潮来まで買い物に行ったが、夕暮れの帰り道嵐にあい急いで帰ろうとしたら、突然天王免の橋がこわれて流されてしまった。孝行息子は大変おどろき、途方にくれて流された橋の方をじっとみながら思案していると、突然ごぉ!という音とともに、今までなかった橋がかかった。びっくりした孝行息子が、おそるおそるこ昔話・世間話と伝説第VI-100図潮来弁天様の蜜〔潮来〕第5章の橋を渡り終り、「ありがとう」と声をかけると、また橋はどことなく消えてしまった。孝行息子は急いで帰り、この話をすると村中さわぎとなり、これはきっと水神森の主(蛇)ではないかとうわさがひろまり、そこに水神様が杷られたといわれている(宮本勝治「天王免のクロ(蛇)」『ふるさと潮来』第七輯)。利根川の竜神今から千年余りも昔のこと。日本の東国では日照りの毎日が続き、数か月の問、一粒の雨も降らなかった。このため、水の豊かな水郷地方でも井戸水はもちろん、利根川や震ヶ浦まで酒れ果ててしまった。水がなければ稲は実らず、作物はできず、人々が生きてゆくことができない。常陸国では、領主が都(石岡市)に名僧数百人も集めて雨乞いの祈りをしたのだが、雨はいっこうに降らなかった。いた〈利根川のほとりの板久の里(潮来町)にぽ〈りゅう卜竜という一人のみその頃、すぼらしい坊さまが住んでいた。卜竜は毎日空腹をかかえ、食べ物を求めて村の家いえを歩くのだが、「乞食坊主」「くそ坊主」とののしられて、相手にされない。いつも最後は甚兵衛の家を訪れ、親切で正直者の甚兵衛から、わずかの食べ物を貰って帰るのだった。今日もやってきた卜竜に、「卜竜さん、わしの家でも今日かぎりで米めしも水もなくなりゃす。今最後の飯をあげますぺい」と、甚兵衛は一椀の飯を炊いてさし出した。だまって食ぺ終ったト竜は、甚兵衛にこういった。「甚兵衛さん、長々お世話になりました。わたしはいよいよ天に帰ります。だが、親切な甚兵衛さんや村人達を、}のまま飢え死にさせるわけにはいきません。せめてものお礼にわたしが雨乞いをいたしましょう」。この言葉に、甚兵衛は自分の耳を疑った。国の都で、935あのりっぱな名