ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第二節民俗事象の変化人びとの生活は時の流れとともに変化し、現在に社会の変化と民俗伝承されている民俗がまったく古代なり中世なり、あるいは近世における状態をそのまま示しているということはあり得ない。その変化は、時に目にみえぬほどゆるやかに、時にはおどろくべき速度で変化し消滅するものもある。潮来町の民俗の変化は、日本社会の変化と対応することはいうまでもない。中世から近世への時代の変化は、墓制においていちじるしい。中世庶民の墓地はほとんど地上に表われておらず、目にふれることもないが、近世以降になると家族墓地・同族墓地、寺院所属墓地で、しかも墓石(墓碑)が顕著である。同様に土着の民間信仰以外にも、他地方からさまざまな民間信仰が伝播波及し、いわゆる石仏・石塔の類がさかんに造立されるようになる。水上交通の拠点として繁栄した潮来町方では、祇園祭礼にともなって山車が登場し、さらに華麗な趣向がこらされ、蝶子も発達する。潮来遊潮来地方民俗の様相廓の存在は、独自の民謡や踊りを成立させ、農村の盆踊りや世間話にも浸透することになるのである。しかし、潮来地方の近世約二七O年の聞は、幕藩体制下の支配、土農工商の身分制、鎖国政策下の平和維持といった中で、変化の速度は比較的ゆるやかであったといってよい。第6章ところが、明治維新以降近・現代に至る変化はきわめて急速であった。文明開化、教育制度、兵役、戦争、敗戦、戦後改革、汽車、自動車、飛行機、電話、テレビ、高度経済成長等々が人びとの生活に変化を与えた状況はすさまじいものがある。中でも大きな変化の時期は、明治維新、敗戦と戦後改革、高度経済成長の三段階で、多くの民俗事象は変化し、あるいは姿を消すこととなった。潮来町の民俗を概観すると、)のような社会変化と対応して激変の傾向にあるが、一方においては、他の地方と比較すると古風な民俗が残存し、また残存していた状況も知ることができる。たとえば人生儀礼(通過儀礼)中の、嫁に対する「笠かぶせ」「嫁プチ」である。「笠かぶせ」は、福島県や千葉県の一部に現在なお伝承されている習俗で、かつてはひろく茨城県内に行われていたものである。既述したように、この習俗は婚家に入る直前に「火を燃やす」「笠をかぶせる」「笠を背中にあてる」「笠をかざす」という行為である。その意味は、徳島において「嫁にきた以上絶対帰ってはならない」といわれているが、すでに説明も充分ではない時代となった。千葉県市川の民俗によると次のような解釈がなされている(萩原法子『いちかわの民俗』)。花嫁は家に入る時Hあくしを踏むHといって火を踏んで入る。担耳方の親戚の子供が扮するオチョゥ、メチョウが、ササメあるいはワラを両脇から交差させるように持ち、火をつけた真中を、最初嫁の仲人が踏み消して渡り、嫁がわたり、伴の人が渡る。この時、花嫁には貸方の仲人が菅笠をかぶせる。花嫁が火をまたぎ、笠を被せられるのはH火のような大変な生活に入っても、上を見ないでしっかりやれHということ、あるいはH災難があっても辛抱して踏み越し、決して自分が上になるなHという意味に解釈しているようだ。この習俗には、さらに呪術的な意味があったようだ。千葉県君津郡に943