ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
俗「タイマックリ」、長野県上田辺には花嫁に寵をかぶせる「水籍の祝い」、長野県に「ヨメノヒタキ」「ナベプタカブセ」があり、古くはひろく行民われていた習俗であった(「常民婚姻史料」『定本柳田国男集』第十五巻所収)。徳島における「嫁ぶち」は、さらに古く、「嫁の尻たたき」に行事が行われていたに違いない。千葉県君津郡では婚家に入る前に「松明振VIり」があり、両親の揃った一二、三歳の男女が藁松明の藁で嫁の尻をうっ。また長野県北高井郡の例では、やはり当日、若者二人が藁束で嫁の尻をうつことがあった(萩原法子前掲書)。大生原地区大賀では嫁笠に対する「墨塗り祝儀」が明治期末まであった(明治四十二年「組内規約書」)。その詳細は不明だが、きわめてめ、ずらしい習俗である。こうした古風な民俗の残存は、潮来地区潮来の素鷲熊野神社の祇園祭(浜下り祭り)、大生原地区大生の大生神社例祭における神僕伝送式や亙女舞神事、延方地区延方鹿島吉田神社の延方相撲をはじめ、他の民俗事象にもみられるところである。なぜ潮来地方の民俗に古習俗が残存したのであろうか。第一に考えられるのは、第一節でふれた地理・地形といった環境によるものであろう。半島状を呈する行方台地の突端部に位置するという自然条件は、文化の伝播において伝わる速度が阻害または遅れる傾向がみられる。また同時に古い文化が残存することが一般的で、県内では鹿島、出島、猿島といった地方に比較的古い民俗がみられるのはこのためである。あわせて社会経済的な環境も影響する。文化の伝播の大きな役割を果す交通においても、鉄道鹿島線の開通や鹿島臨港工業地帯の開発は、さして古いことではなく、近代以降でも徒歩、パス、水上交通の時代が他の地域と比ぺて長く続いていたのであった。典型的には、水神祭、弥勅踊り、嫁たたきなどのある延方地区徳島の民俗があげられよう。944第二には、潮来町の人びとの心意の問題である。第一に述ぺた要因のみでは、古い民俗の伝承を容易には理解できない。祭礼や芸能の保存継そして町の文化行政、指導、また観光資源とし承については、国や県、て保存が図られるという一面も見逃すことはできない。しかし、民俗が伝承され継承されてゆくためには、当該関係地域住民の継続してゆこうとする意識がまず必要な条件である。}の問題に関しても徳島の民俗に、人びとの強い心意を汲みとることができるのである。規制による民俗の変化年に一度の祭礼や人の一生における通過儀礼、その時代において悪習とみられた民俗などは、政治・社会的な規制をうけ、また廃止を余儀なくされることもしばしばである。とくに経済状態が悪化した日露戦争後の地方改良運動、昭和初期の経済恐慌後の自力更生運動、戦時体制下の自粛改善、戦後の生活改善運動などで、高度経済成長にともなっては、豊さの余りの新生活運動となる。まず、大生原地区大賀における明治四十二年の「組内規約書」には、次のような項目が記されている(抜粋)。(しめいり)一七五三入祈祷は旧八月晦日夜ヨリ集合シ旧九月弐日に限リ解散ス事但シ持参米ハ壱升宛トス一紐解祝儀ハ男女ヲ論ゼズ総領子ヲ限リトス一嫁婿墨塗祝儀ハ全廃スル事一葬式執行ハ出棺当日及其前日即チ弐日ヲ限ル事一葬式一一付取持貰金ハ其半額ヲ当家-一差出シ後半額ヲ器物修繕費-一充ツル事女人中貰金ハ組内親戚一一於テ取持中タ口骨折金ヲ差出