ブックタイトル潮来町史

ページ
96/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている96ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

原始・古代そうすると強い雨足が行列をなし84い時間に激しく降る雨のことである。て並んで降ってくる。あるいは斜めに降ってくるのがナメにかかったのではないだろうか。松岡静雄『日本古語大辞典』も、「行細は恐らくEはナミ(列)カタ(形)のクハシクニと訓むのであらう。行の方はナメカタにあてた仮字であったのを、後人がよみよいやうに方の字を補うたものと思はれる。風土記に風俗目立雨零行方之国とあるのは栗田氏説の如く夕立の篠つく雨の足といふ意を以てつYけたのであらう」としているのは重要である。古代の霞ヶ浦は、行方台地の端まで海水が入っており、「山の阿、海わたたがいもこよの曲、参差委蛇ひ」(山々のひだは出たり入ったりしながら重なり続き、海辺のひだは長くうねうねと続いている)という景観を呈していたのである。海水が低地に入っていたので、台地の開発は谷を利用して池を築かなければならなかった。『常陸国風土記』行方郡の条には、現原の丘、鴨野、析の池、行方の海、郡の東の社の寒泉、郡より西の谷の葦原、山府M'se-cse'ν口、椎井の池、鯨岡、瀦泳の涯、麻生の里をめぐる山、新治の洲、板来おぬきはずむの南の海の洲、屋形野、小抜野、波須武の野など当時の地勢を詳しく伝えている。霞ヶ浦に挟まれた半島状の台地には、山あり、丘あり、谷あり、野あり、そして海辺の涯があるといった複雑な地形を利用して、堤を築き池を作って田を聞いたのである。