ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第三節民俗事象の分布と潮来町民俗学では、調査研究するさまざまな民俗事象を、民俗分布図の意義日本、茨城県などの地図上に分布の状態を記してゆく作業を行っている。たとえば伝説に登場する巨人のことを、潮来町の例ではオオナカポウとよぶ。茨城県では一般にダイダラポウ、デlダラポウ、ダイタッポウなどといい、弁慶とか百合若大臣の伝説も巨人伝説の部類に入る。ダイダラボウ系の呼称は、関東地方から中部地方におよび、近畿地方以西になるとオオヒト系(大人)で、九州地方に向うにしたがい大人弥五郎、味噌五郎なども登場する。が東北地方となると、鬼、ウヒト(大人)、手長足長などという。また年じゆがっと留か中行事十月十日の呼称を茨城県域でみると、おおむね県北部で十月十日、じゅうやとおかんやお十夜、県西部で十日夜、県南部では亥の子といっている。刈り上げ、この行事の内容にも相違があったりする。その語集(民俗語集)や行事内容についこうしたあらゆる民俗事象を、て調査し、その結果を地図上に記してゆくと、ある分布をもっているこ潮来地方民俗の様相とがわかってくる。}の分布状況は複雑な様相を呈するが、複数以上の民俗事象が、その分布において同じようなひろがりをもっていることが確認できれば、民俗分布圏を設定でさることになる。次は、なぜそのような分布を示し、分布圏が成立するのかといった問題を研究することになる。たとえば、交通経済上によるか、婚姻による第6章とかである。一つの地域の民俗が隣接する他の地域と連なって分布する場合もあるし、離れた地域に同様の民俗が分布する場合もある。}の場合、カタツムリの呼称が本州の北端と南端で同一によばれる事例をもとに、中央(京都)に古く発生した呼称が、池に石を投じたときの水の輪のように本州全体に伝播し、やがて次つぎと別の呼称が生じて伝播したが、北端と南端には古い呼称が残存したことを証明したのが柳田国男による方言周圏論、}の解釈とは別に、しいては文化周囲論である。弥生時代前期の遠賀川式土器ないし水稲農耕が、九州から近畿地方におたとえばよび関東地方を飛び越して東北地方に分布、存在した理由は}の文化が日本海を北上して伝播したのだという見方もある。いずれにしろ、民俗事象の分布理由を証明するのは、多くの資料を収集しその比較研究が必要となる。}の証明が困難としても分布図作成を行えば、その地域の分布上の位置だけは確認できることになる。民俗編オもにおいて若干ではあるが、分布図を挿入したのはこのためである。の分布図ないしその視点で、潮来町の民俗を主に年中行事を中心に、茨城県域を範囲として総括してみよう。大雑把ではあるが便宜的に、H茨城県全域的な行事、口茨城県南部的な行事、日潮来地方的な行事、回その他に分けることにする。H茨城県全域的な行事若水、初詣、鳥よばり、ダイヤフク、万才、警女、七草、鏡開き、ナラセモチ・ナリキモチ、ケズリカケ、小豆粥、大斎目、二十日正月、恵比寿講、村祈祷、節分、針供養、三月節句・五月節旬、春彼岸・秋彼岸、釈迦祭り、虫送り、七夕、新盆の高灯龍、三日月様、川浸し餅口茨城県南部的な行事鍬入れの日、イチクワの名称、田・畑鍬入れの分離、山入りの目、マコモの馬・牛、ウラポンの日、月見の名称、人形送りの日白潮来地方的な行事しめ早乙女のことほぎ、鹿島オカケ、七五三入り、949