ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第6章潮来地方民俗の様相~ o-?O?、01/宮本常一「亥の子行事j(r民俗学研究』第2輯),文化庁編r日本民俗地図J(年中行事1),その他諸書により作成。第VI-103図亥の子の石っき分布銭t旦も那金2様ものもフカ〉るよ951イlノコだlイノコだイノコだlも女も参加し、幾組も出る。石つきの歌は、つけて家いえを廻り金銭を貰う。子供らの年齢は一一、二歳位までで男によると、十月九日の夜、子供らはタワランポッチへ貝殻を入れ、縄を史史料I』)。潮来町の事例と方法・歌調はほぼ同じであるが、柳川の例るので廃止になったという(多辺国盛治「谷田部に関する記」録調『査波崎町一年調査による)。谷田部では明治三十年頃までで、行事が物乞いに類す波崎町では、柳川、須田、谷田部、舎利、別所の事例がある(昭和四十民俗資料緊急調査報告書』)。谷などではオl(藁槌)で各家の庭を叩く(『昭和0四年度鹿島臨海工業地帯神栖町石神での方法歌詞は潮来町と同じである。ただし息栖、奥野(藤田稔『茨城の年中行』)、事藁鉄砲打ちである(『土浦市民史俗編』)。土浦市などにも同じような「亥の子突き」の行事があったというが様お目出たい」(堤一郎「亥の子の石っ」き『茨城の』民第俗一O号)。らった家では「お亥の子だお亥の子だ出雲の神様お亥の子だ嫁様婿亥の子だE那様のお亥の子だお目出たいお目出たい」で、嫁婿をも北に接する北浦村内宿の行事方法もほぼ閉じ、歌調は「お亥の子だお売新聞社水戸支局編『茨城の民俗』、牛堀町教育委員会『郷土うしぼり』)。戦前まで行われていた。方法および歌詞は潮来町の例と同じである(読西隣りの牛堀町横須賀地区十月九日夜の行事は「亥の子祭」とよばれ、ある。管見のかぎりだが、その事例を記してみよう。さて、亥の子の藁鉄砲とは異なる亥の子の石っきは、潮来町以外でもではなかろうか。