ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編

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概要

うしぼりの文化財 民俗資料編

上戸川繕槻山遠望一角(浅間塚)紙きれに書いた願い文を山裾の道祖神様のどころへ置L、てくる。その日の朝になると人数分の膳椀はちゃんと棚の上に並べられてあった。寄り合いが終れば拭き清めた膳椀をキチンど棚の上にがさめてくる。rあ,)IJ "どうごさいました。おかげさまてザ」、こうして山の上の長者は誰言うどなく「膳棚長者」ど呼はれるようになった。人は情に慣れ干すいのてある。出来るだけこ厄介にならねようにと汗水流す者もある反面、飲んて、食ってその日を終る怠け者も出来てくる。「困った時はまた長者さまにお願いするサ」、これらはまだ大自に見るとしても中にはお借りした膳椀の数をくすねる不心得者も出来てきた。輪に輪をかけて、そっくる借り貰い申してしまう人さえも。かくして道祖神様の前には時椀をのせる棚はおろか、いくらお願L、しても透に膳椀はあらわれることみJなくなってしまった。伝永者、牛堀町牛堀須田誠太郎翁(八十八歳)チョロリ稲荷の突端て^J..,は海に人る。「チョロリ」の言葉には「潮;良里」の文字が当てられている。往古の香取の海の入江である。この入江を越して西の中が「尾野詰山」であり尾野詰百軒の名が残っている大同二年創建の上戸の観音寺はそもそもはこの尾野詰中の背にあったど言われる(尾野詰には小野住の文字を当てることもある。)-128-