ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編
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うしぼりの文化財 民俗資料編
すでにこの頃、この尾野詰百軒の集落があったこどを考えれば、膳棚山附近にはもっともっど大きな集落があったであろうし、「膳棚長者」の話はそれよりも更に昔にさかのは'らねばなるまL、。「長者にお願いしたどいう道祖神さまは、? 横須賀部落の国道沿いに道祖神様がありますね、北向主道祖神ど言っておりますが。あれだと言う人もあるのですか‘。」「それは潮来ど上戸の境にある道祖神さまですよ。キム達の子供の頃あそこに銚子屋という因子屋がありました。よく1Tったものですよ。この神祖神さまのところへ紙きれを上戸川l 道祖神置いてきたんです。山の方へ入る道がありますね、あの道はまっすぐ膳棚中へ登る道です。もう何十年ど行ったことがありませんが今でも道祖神様は立っているでしょうね須田翁節句の日に須田翁宅に集まった四・五人の人々は柏餅をつまみ乍らこの話に花を咲かせた。(昭和43年5月5日)「尾野詰百軒ど長者屋敷を別々と考える。一時代がちがうとL叶意味ではそれもいいでしょう。しかし長者時代の膳棚中集落はもっど大きなものではなかったでしょうか。尾野詰百軒ど言われたあの辺も含まれていたと考えるべきではないでしょうかネJ r地勢的に考えれば別々と見るべ主でしょう。チョロリ稲荷から下は海。尾野詰山は入江をへだてた対岸ということになります。-129-