ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編
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うしぼりの文化財 民俗資料編
なんせ「カ、、キ」の傾なので、どうもはっきりしませんネ」(昭和43年5月19日)内堀政雄さんの話(明治31年生)「このすぐ上の浅間塚はごらんのようにヒサゴ塚。向きあったもう一つの塚は夫塚と言って独立の実に立派な塚でした。惜しいことに水道のためにあとかたもなくなってしまいました」。「膳棚中か、膳立山かつ」「困りましたナア、私は膳血中ど聞いているんですよ、どうも。大もどの名は一つなんでしょうが、昔、昔の話なので色々と抗ってしまったのでしょうネ」膳棚、膳立、時皿ど少しづっ遣う点はあるにしても長者の話からそれるこどはなかった。「道ネ且神さまには大きなキ夏がありますネ。もどは、あの榎よりも大きな松がありました。枯れかかって道路の方へ傾き、今にも倒れそうになって危険なので部落で木挽をたのんで切ろうとしたんです。「コビキ」がいよいよ切りはじめたところ一匹の蛇が出てきまして、それが白蛇に似た不思議な蛇だったので、木挽はヅッとして切るのを止め、サッサと帰ってしまったんです。それで仕方な〈枯れ落ちるのにまかせておきました。今ある松は、私が自分の山へ松苗を植えた時、記念に植えたのがあのように育ったものなんです」。「通祖神さまを他所へこそうとしたことも何回かあったそうですが、そんな話が出ると何か「ケチ」があったりしてそのままになったのだそうです。石の鳥居はある人h'-あけ、たものです。仕事の道具や材料などを道祖神さまの前へ積み重ね、きたなくしておいたどころ病気が出来、近所の医師にかかっても病名さえわからず、麻生や佐原、まで足をのばし何人も医師を代えたが思わしくなかったのです。近所の人から言われて道具類をかたづけ、まわりをきれいにしてお願いしたとこ-131-