ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編
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うしぼりの文化財 民俗資料編
ろ本没したので、そのお礼にあげたものです。古くから色々な縁起があったらしいですよ」。このあと暫くして、私は潮来の人々の門を叩L、た。(昭和43年5月19日)何人か不在だったが幸にして次の方々のお話を承ることが出来た。潮来町役場管理課長長谷川定氏のお話(58歳)「時棚山の長者のお話ですか、おはずかしいですか、よくわかりません。子供の頃、あの山のバッケし崖くずれになったどころで相撲をどったりタコあげをした記憶はあるんですが、大塚へはあがりませんでしたネ。あがるには都合よく段々がついていましたがあがってはいけないと言われていたのかもしれませんよ。昔から官有地だったらしいてす。今、町所有地どして土地台'帳で見ますとー町一反ニ畝九歩ということになりますが、長者のお話のあった頃は、あの辺一帯を言ったのかもしれませんですネ。(昭和43年5月27日)藤岡庄三郎翁(76歳)のお話「膳棚山のお話ですか、せっかくお出で頂きましても何も申し上げるものがありませんですみませんです。唯、今になって惜しいことをしたナアど思うこどはあの山の松の木ですよ。当時、兵隊に出ておりまして帰りましたらあの大木が一本もなくなっていて唖然どしました。有名な「潮来のバラバラ松」ですよネ。三十九年か、四十年(明治)に切ったらしいてす。切るには無論切るだけの理由があったことでしょうが。観光の声のはげしい今の時代にあのバラバラ松がありましたら水郷観光の一大資源になったことでしょう。惜しいことをしたものだとしみじみ思います。どんなに大きな松だったかということは「あの松で臼をつくった。一俵の米が一度につける臼が出来た」どいう話だけで御想像頂けると思いますが。-132-