ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編

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概要

うしぼりの文化財 民俗資料編

塚本勝利さんのお話(元潮来町長、郷土史町究家)キムの家から西、いわゆる潮来町西町ど上戸)11 (牛堀町)を含めてこの集落を「浅間下」ど言っております。不思議なことに「膳棚下」どは言っておりません。銚子屋さんのところの道祖神は無論上戸川部落に入ります。キムはこう思います。其の頃(\、わゆる長者屋敷があったであろう当時)は今いう膳棚山は浅間塚に含まれていたのではないかと。(この話は後の新山氏の話ど関係をもってくる)石橋さんも言われたそうてすが、あの浅間塚ど大塚どの問の切通しを豪族なり、長者屋敷なりの入口ど見ることは素直な見方てはないてしょうか。長者伝説と直接、間接に関係があるかどうかはわかりませんが、ここで考えることは潮来の駅(ウマヤジ)です。駅は辻(潮来町辻)f付近という見方(須田誠太郎翁)稲荷山F付近てはなかったか(茨城大学、豊崎卓教授)と、いろいろありますが、私はノーボー(能房)附近と見ております。(宮本茶村先生の墓があります)稲荷心からは一寸はなれておりますが。u頁田翁宅にて昭和43年6月10日)(筆者註)距離は少しあるどしても、稲荷山説、能房説は大体に於て同一場所、又は同一場所に近\\~見. である 。塚本氏は、直接、間接関係があるかどうかと言葉をにこ'されているが、この附近に駅があったであろうどいうことには耳を傾ける必要があろう。それはまた長者伝説ど一歩接近したど見るべきである。塚本氏とお話した当日上戸の観音寺に文化財関係者の集まりがあり、その席上新心一人氏のお話、「銚子屋のところにある道祖神様にお願L、をするとチャンど膳椀を用意してでさったのだそうですネ。時椀を用意して下さった長者がいたーところだから膳棚山どいう名が出来た。そのように私の家では先祖から聞き伝えております。-135-