ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編

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概要

うしぼりの文化財 民俗資料編

大塚が中心ではな〈て、この大塚はその隣りにあるひさご塚の祭壇ではなかったかど思います。このひきご塚を今浅間塚ど言っておりますがこれは後世の富士山信仰から浅間様を勧請したことから出た名て\私はこの。乎び名は余りを子きでありません。給水塔のため跡かたもなくなりましたが、この大塚は円墳ではなくて、はっ主りど階段がついておりました。立派な祭壇どしての形です。ひさご塚治、長者の塚であるかどうかは断言できませんが」。(観音寺にて昭和43年6月10日)(筆者註)この新山氏のお話は、塚本勝利氏が時棚山は浅間塚(ひさご塚)に含まれていたのではなかろうかどいう見方ど一致する。月番棚中長者の伝説しらべにあちこち駈けまわっていた時ふとした機会から思L、がけず、上川の山奥には旅行をすることが出来た。利根川の支流、片品川に臨む,J、さな温泉場、老神の湯に一泊。翌日、程遠からね所にある滝を見物した。吹害IJの滝どいう。滝という概念からは一寸それるが実にめずらしい美しい滝であった。ここで思いもかけず次のようなお話を聞いたのである。「吹割の滝つぼは竜宮城に通じている。この附近は大昔から貧乏人の極であった。其の自の食にも事欠〈生活であったので、村の祭りに使う道具なともお粗末そのものてあり、神前に供える時椀にも満足なものはなかった。、これでは何ども神様に申しわけな\.'\\敬神の念厚い村おうはL、つもこの事で悩み続けた。ホ立派なお祭りをしてお恵みをT貢載した\.\\\どある夜村おきの夢枕に乙姫様があらわれた。守主をたがえず返すならば望みの品を用意してあげよう、キチンど数を示しなさL\、村おさは感j立合掌して事の次第をお願いした。当日、諸道具はすべて用意され、お祭りは例年にな〈盛大にとり行なわれた。ところが或子年、どうしたこどかお椀が一つ不足してしまった。おめぐみに甘えた百姓共は村おうにも相談せずやたかが一つ位は治とそのままお-136-