ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編
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うしぼりの文化財 民俗資料編
い思いで帰り仕度をしている時、突如物凄い音がして池の中央が大きく盛りあかづた。ど、すさまじい大蛇が鎌首をもたけ‘てカッど二人をにらみつけ、たちまち水中にその姿を消した。二人は血の気もうせて命からがら逃げ帰ったが、芝宿の男はその晩高熱を発し、ウワ言を言い乍ら死んでしまった。牛堀の男も其の後ブラブラ病いにかかつて一年余にしてやはりあの世へ行ってしまった。牛堀町芝宿内野健造氏のお話「キムがこの話を聞いたのは近所の八十余オになる老婆からですが、そのお婆さんは、十六、七の頃、やはり八十歳位のお婆さんから教えられたと言っておりました。てすから百五十年位昔にはこれが話題になっていたものらしいです。御承知の通り今でも大膳池は一人などでは行きたくない所です。百年前にせよ、百五十年前にせよ、その当時の大膳池の状況を想像するのは、そう困難ではありませんですネ」大膳池一牛堀町大字島須、赤須部落の北の山中にあり、ーの池、ニの池、ーのj也均、らなっている。約七百年前、土地の豪族左衛門尉関川鉄幹が作ったものと伝えられている。鉄幹は文永十年後、大膳院関川鉄心居士の名によって大膳池ど呼ばれてきたが、何時の頃からなまったものか土地の人は普通大膳池ど呼んでいる。鉄心居士の墓は池の北方、大膳屋敷ど手かされている山中にある。鹿島開発の余波はすでにこの地にも及び、大時池も、大膳屋敷F付近も今大きく変ろうとしている。無論この小さな昔語りもあど幾年語りつがれることであろうか、苔むした鉄心居士の,J、碑はひとり流れゆく雲を眺め乍らも何も語ろうとはしない。(飯島匡孝)-139-