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概要

潮来の石仏石塔

(9)典士苔経経典塔の名称で総括してよいかどうか、少し疑問もあるが『日本石仏図典』(国書刊行会)に従って名称を借りることにする。六字名号塔(南無阿弥陀仏の文字を刻んだもの)題目塔(南無妙法蓮華経の文字を刻んだもの)以上の塔はいずれも角柱に刻まれたもので、平石に刻まれていて、ある霊の供養のためになされたものならば叡碑と呼ばれることになる。読諦塔・納経塔(写経塔・一字一石塔・廻国塔)など。(10)千平巡士苔経典塔のなかに廻国塔を含めておいたが、巡拝塔に入れるのが適当と思われるものもある。観音札所順礼塔・四国八十八霊場巡拝塔・神社仏閣巡拝塔など、,1 1A (山岳士主主ロこの呼称なども『修験塔』とするのが適当かどうか疑問のあるところである。出羽三山塔・古峰山塔・大山石尊塔・富士講碑・木曽御岳碑・立山塔・白山塔・戸隠山塔・大峰講碑・大山塔・石鎚山塔など。(12)待士蓄日日待・月待・庚申待については五来重博士の『石の宗教』(角川選書)をそのまま引用する。「待」は日待、月待などもあって、日の出、月の出を待つように解されるけれども、いずれも夜明して神を祭ることを「待」といったのである。すなわち「待」は「祭」のことである。日待は農耕の守護神として正月・五月・九月に太陽をまつるといわれ、のちは伊勢大神宮の天照皇大神を祭るようになるが、夜中に祭りをするというのは太陽の祭りではなくて祖霊の荒魂の祭りであった証拠である。そして月待も七月二十三夜の月を祭るというけれども、これもお盆の魂祭の一部をなすもので、やはり荒魂の祭であった。(13)待士苔月-39-日待の項で述べたように、もとは祖霊の荒魂の祭りであったので、十五夜を阿弥陀、二十三夜を勢至菩薩など、いろいろいわれているのは後世に仏教僧などの智恵が入って作られたものと思われる。月待には次のようなものがある。七夜待・十三夜待・十五夜・十六夜・十七夜・十八夜・十九夜・二十日夜・二十一夜・二十三夜・二十六夜・二十八夜・二十九夜など。) an- ---A (庚申士主主口五来重博士の『石の宗教』庚申待は庚申という神を祭ったのだろうとおもわれるか(角川選書)を引用して簡記する。