ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

(図1・2図龍瀬良明)-:・:.1B ?・/:; 砂州===国道51号だ。芝宿古墳群、横須賀古墳群と名づけられているが何せ、しhずれも墳丘が低く小規模のため、宅地、農地になったりして原形をとどめていないものもあるが、まぎれもなく古墳である。・;1/ 2. 500による.古墳時代は、三世紀後半から始まる。上戸の浅間塚古墳は、霞ヶ浦周辺のものでは最も古く五世紀初めの前方後円墳で、文化財の指定を受けるに至っていないが貴重な史跡である。墳丘の長さは八五メートルあり、茨城県内第ロ位にランクされている。これは別格として、こちらの古墳は七世紀ごろの後期に属するかと思われる。薄葬令によって巨大なものは制限され、小型化し群集墳になっていく時代のもので、永山の塚原古墳群も-4-図2 牛即湖須賀の隆起砂州一つだけしか残っていないが、形は方墳でこれも後期のものである。それにしても古墳に関連し、書き添えておきたいことがある。古墳に使われた石室、石棺のことだが、この石材はどれも筑波山麓の平沢からでた通称「筑波石」、正しくは黒雲母片岩という岩石である。重いこの石をどのようにして搬入したのか、そしてこれの代償は何かという問いにどう答えるか、当時の交易全般について調べなくではならない。中世になれば海夫たちの活躍で明らかのように、予想を越える水運の発達があったことが明らかになっている。砂岩の「銚子石」が主流と石造物には、