ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

が懐かしく想い出される。指導は厳しかったが、私たちのことを真剣に考えてくれていた。六年生の時の担任だった字賀先生は短大を卒業したての女の先生だった。子供だった私たちを人前の人間として扱ってくれたことが嬉しかった。当時の小学校は中学校と併設で、役場までもが同居していた。中学生は私たち小学生から見れば雲を突くような大男であり、怖い存在であった。グランドは飽くまでも広く、中央にそびえるヒマラヤ杉は飽くまでも高かった。これは誰でも経験することだが、大人になってからはじめて小学校を訪ねたとき、その小さいことに驚いた。そして、自分と自分を取り巻く世界がいかに小さかったかを悟った。何度目かに訪れたとき、玄関に昔ながらの額がかかっているのに気づいた。校訓を彫り込んだ額である。「自治、協同、正義」という文字には見覚えがあった。昔は当然の事ながら、その言葉に込められた深い意味も分からずに眺めていた。今ではそれが明確にわかる。それは、悲惨な戦争に敗れ、新生を誓った大人たちの得た教訓であり、心境であろう。大人たちは未来を担う子供たちに託したのである。その校訓にふさわしい教育をうけたかどうかははっきりした記憶がない。しかしながら、その額は少なくとも私の子供心に確かな影響力を持った。帰省したときには必ず校訓の彫られた額を見に行くのが私の習慣になった。いつもその健在なるをみて安堵した。ある年、額がなくなっていて驚いたが、よく見ると校庭の石碑に姿を変えてその主張を続けていた。聞けば、牛堀第一小学校は少子化のあおりを受けて来年度には他校と統合されるそうである。新しい小学校の校訓がどのようなものになるか、私には気がかりである。是非ともあの素晴らしい校訓を、いつまでも受け継いでいって欲しいと心から切望する。-9-夜越川宮本文雄私が小さい頃の牛堀周辺の様子を、うろ覚えに思い出されるまま書いてみた。一番変わったことは何と言っても河川改修の夜越川で、途中から川幅が広くなり、流れの方向も場所も変わってしまったことだ。当時の土地改良事業などでは、土砂を