ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

ページ
24/70

このページは 牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」 の電子ブックに掲載されている24ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

入ってくる。何eたろうと不思議に思いながら見ていた。弟達に背中を洗わせ流し終わるころ、その答えを二人は教えられた。今日、弟達は食べ物で取り合いの喧嘩をしたらしい。父はそれを戒めている事が分かった。兄弟は助け合い、男は尚更人をいたわらなければならない。自分に自分にと欲張ると、欲しいものは余計に逃げていく。人に分け与える気持を持てば、それは自然に自分に返って来るものだと父は教えていたのだった。私と妹は深くうなeついた。そんな父母も今は亡く、父が逝って十六年、母も十三年が過ぎた。父母のもと、姉妹兄弟そろって暮らしたあの頃が懐かしく、父母の言葉が身にしみてくるこの頃である。祭礼鹿取豊現在、諏訪神社の祭礼は、子供達の休みを利用した『夏祭り』となったが、数十年も昔、私の子供の頃は、『春祈祷』と言って、旧正月一O日頃厳冬の中で行われた。みこし神輿は二台あって、東の『毘沙門天』の神輿は若い衆達が担いたが、子供達は、浄衣姿の大先輩にあこがれたものだ。西の諏訪神社の神輿は子供達の神輿で、五・六年の小学生と、中学生とその0・B達で担いだ。側から見ると、ズボンをはき、普段着姿の神輿はあまり様にはならなかったが、子供達はそんなことに頓着なく、大人達の仲間入りをしたような気分になり、時の経つのも忘れたものであった。その頃の祭りは、登校日に行われることが多かった。そんな時は、小学生達は俊業は耳に入らず外ばかり気にしていた。時間目の授業も終わりに近づいた頃、祭り係りの役員さんが校庭をつつきり、事務室へ入った。生徒のH早退届けHを出して-17-呉れたのである。家へ帰った子供らは、カバンを放り投げ神社の境内へ走った。境内では大人達の手で神輿が組み立てられていた。酒で浄められた鳳風は、神輿のテッペンに飾られて金色に輝き、撚られた紅白の晒しは、鳳風の足もとから四方に張られ、担ぎ棒にがっしり締め括られている。子供達は神輿を囲み離れようとはしなぃ。覗きこむと、ぷーんと独持の匂いがした。それは、子供にとっては神輿の香りであり、また一年振りに嘆ぐ郷愁のようなHまつりHの匂いであった。誰かが太鼓を打ち出した。祭り気分になってきた子供らが、