ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
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牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
昭和40年頃の諏訪神社ょうらく担ぎ棒を揺さぶると、神輿の四方に飾られた理培がシヤカシヤカと音を立てて光った。冬の寒い頃ではあったが、神社の緑の松の上の空は、どこまでも青く澄んでいた。当時の横須賀は、四つの組合になっていて、祭りの当日は、各戸二人(夫婦)宛所定の場所に集合し、女性は赤飯の炊き出しと、おにぎり作りをするのだが、この外戸毎に、お重に詰めた煮しめを持参する。これがおにぎりのおかずであり、酒の肴となる。一方男達は、祭りの準備が終わると、神主を招いて神前で厳かに祭礼の式典が挙げられこれでいよいよ神輿の渡卸となる。-18一村回りのコlスの中にある四ヶ所の休憩所は、役員宅が利用されたが、その外、前年に新築された家や、新婚の家などが利用され、これらの家家で御馳走になり、酒も入った大人達は、除除に祭り気分が出てきて、休憩所の庭で円形になって踊る。W大漁節Hにも、一段と弾みがついてくる。冬の陽はみじかい。夕方早目の夕食を、参加者全員でとる。この頃下校した中学生達が食事に参加して一段と賑やかになる。中学生達が合流する頃には、いつも招かざる客がやって来る。それは筑波麗しの西風だ。陽はかたむくわ、西風は吹き出すわであちこちで焚き火の輸ができる。アルコール党は寒さ凌ぎの