ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
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牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
る一一一日葬儀その日は天気も回復して穏やかな暖かい日であった。家内の女学校の同級生も見送りに来て呉れ、「まだ早かったのになあl」と早過ぎた死を悼んでくれた。小一の孫娘は「おばあちゃんは、何で死んだのや!」と聞いてくるので、「いま、棺の中で眠っているから、そおっと会ってみな」と言ってゃった。中三の孫娘は短冊を供えた。正月に会ったばかりがうそなのかさくらも待てず今日がかなしいと書いであった。出棺は午後一時で、火葬・埋葬総て終わったのは陽も傾いた五時頃だった。手伝いの組合人達も帰ると、子供らまでもが、「明日また来るからね」と帰っていった。ポッツリと一人きりとなった。赤あかと口lソクが点り、線香の煙がゆれ、生花の中の妻の写真を眺めているうちに涙がとめどもなく流れ、人の世のはかなさを痛感した。結婚の事、子育て、野良仕事、日常の事など只管追憶に耽っていたが一二時を打つ音に促され、床こ寸JA一こ。|{t1日子供らが集まって仏立てに行った帰り道、しばらく話題にもならなかった自動車盗難の話になり、一人暮らしの老人には車が無くては何も出来ないからと、娘の亭主が中古車を買いに同行してくれることになった。家に帰ってみると、しミやににぎやかである。盗難車を見つけて呉れた人があり、子供達が引取ってきた所であった。家内の倒れた日の二日前に盗まれた車が、八日振りで我が家へ帰って来たのである。あれ以来沈んでいた我が家であったが、やっと少しは笑い声が聞こえるようになった。私の昭和史円/“生天目ふみ子牛堀は子供の頃の思い出がいっぱい詰まった町、忘れられない町である。工務所に努める父の転勤で小学校四年生から高等科一年までを牛堀で過ごした。今でも年三回、牛堀の有志の方の肝煎りで女ばかりの同窓会を続けている。思い出話、世間話、とりとめもない話を飽きもせず繰り返すが、これが私にとってはわだかまりもなく繕うこともなく一番幸せなひとときである