ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
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牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
農家の今昔林..ιー昭和四O年( 一九六五)頃より起きたH 新築ブームHに、農村の家屋は大きな変貌をとげた。かつての茅葺き屋根の都びた農村風景は姿を消し、屋根は瓦やスレート葺きに、板戸はサツシに、外装の下見板は鉄板の合板となり、それにガラス窓が付けられ、玄関が付き、農家も非農家も区別のつかないつくりとなってしまった。私の故郷は、南に水田が広がり、北は小高い丘を背にした戸数十戸足らずの静かな純農村で、生家は木造茅葺きの平家建て、方形造りの古い家でした。激しく移り変わりゆく現代、昔の農家の聞取りゃ生活を思い出しながら筆をとってみました。土間家の間取りは家によってまちまちだが、入口は右端か左端になっていて、格子戸を開けるとそこは土間になっていた。土間は古い大きな家程広かった。昔土間が作業場として使われてた頃の名残りで、昭和三O年( 一九五五)頃までは作業所のある家は少なく、足踏みの荏織り、縄ないなど藁仕事は土間でやっていた。土間の土は、H たたきμともいって長いこと踏み固められた- つためにコンクリートのように固まっていて、ここに鐘を敷き、ときには夜仕事もやった。勝手場土間の奥にはHHがあった。これは土でつくったかへっついまどで炊飯や煮物をやるのだが、正月の餅つきや、味噌つくりなどもするためへっついは大小三つ位はあった。燃料はたき木や薪をもやした。勝手場に近い所の土間に、大きな水がめを埋めて置く家もあった。井戸の遠い家ではこれに水を汲んでおいて使っていた。円,円L指一本で押すとガスの火が付き、ひねると水が出る現在の生活は夢のようだ。昭和三O年( 一九五五)頃「三種の神器」という言葉が流行った。テレビ・洗濯機・冷蔵庫を求めることが庶民の夢の時代だった。おだや勝手場の土間に下駄を脱ぎ、おだやHシ」いvつ。上った所をHおだやは板張りで食堂として使用されたが、家によっては、箱膳を使う習慣があった。箱膳は家族の者一人一人お膳が決まっていて、小皿、箸など一式が入ってなかにそれに飯碗、汁碗、は食べ終わると、洗わずにお湯をつぎ、ゆすいで終わりの家も