ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
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牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
の詠める寓葉集の「海行かば」を東京音楽学校の信時潔氏に作曲を依頼して国民歌謡とした。私達も夜週番士官の点呼終了後に内務班全員で合唱した。暁に祈る歌伊藤久男あああの顔であの声で手柄たのむと妻や子がちぎれる程に振った旗遠い雲間にまた浮かぶ昭和一六年六月、岡山新聞社の慰問団が阿城を訪れて種々の芸を見せてくれた。その中の女性歌手が「兵隊さん、今内地では暁に祈るが流行して居ります。私が一節歌いますからあとについて歌って下さい。」と教えられた歌である。国境の町歌東海林太郎檎の鈴さえ淋しくひびく雪の噴野よ町の灯よひとつ山越しゃ他国の星が凍りつくよな国境い故郷はなれてはるばる千里なんで想いがとどこうぞ遠いあの空つくづく眺め男泣きする宵もある入隊してから一年後位は歌、ところではないきびしい訓練の連続であった。二年目になって心の余裕も出て来て満洲の自然も見るようになり、地平線に真赤な太陽が沈むのを見ながら、離れて遠き故郷の山河を想い出す日もあった。戦友Fhu qdここはお国を何百星離れて連き満洲の赤い夕陽に照らされて友は野末の石の下思えば悲し昨日まで真っ先駆けてて突進し敵を散々懲らしたる