ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
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牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
たので、生きていたということは大変な朗報でした。ただその葉書の最初に「幸か不幸かまだ生きています」と書かれた文字を見たとき、その言葉の裏にこめられた苦労を思って涙が止まりませんでした。その後間もなく家族から小包を送ることも許され、約四年間文通が続いたあと、最後に移されたイワノフ収容所で帰国を目前に昭和三一年一O月末、故国の土をふむことなく亡くなりました。(以下略)近衛文隆氏は享年三八1九才であったと思う。氏の墓は、京私の少年時代羽生英雄先日「牛堀の文化」の編集にあたっている方より、依頼があり、何を書こうか迷ったあげく、今から四二年前にタイムスリップする事にしました。その時の事は鮮明に想い出せるんです。その日は朝五時に起きます。顔も洗わず、歯もみがきません。シャツとズボンに着替え、長靴をはいて外に出ます。家の前の凸Oηd都の近衛家の墓所大徳寺にあり、平成四年七月正子夫人に同道道路を横切り、細い路地を通り、通称Hやすuと呼ぶ友達の家して私も墓参に参加させていただいた。在りし日の漂々しい近衛氏を偲んで高感胸に迫り、輸の熱くなるのを押さえる事が出来なかった。に行きます。彼もとうに準備が出来ていて、に出ます。前夜にしかけたつくしをあげるのです。篠の竹の先に一米位のたこ糸をたらし、みよこで採ってきたザ二人はすぐ前の川つくしとはリガニを針でしかけます。二人で三十本位仕掛けをおきそのザリガニを食べにくるうなぎをつかまえるのです。端から仕掛けを一本一本あげるのですが、その瞬間がたまらないのです。沖では舟に乗った、プ口の漁師さんが同じ様にうなぎを取っています。いつも手拭いでほうかぶりをしたおじいさんです。「今日はとれっか?二1三匹だっぺl」残念ながら私達は一匹も採れ