ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
- ページ
- 58/70
このページは 牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」 の電子ブックに掲載されている58ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」 の電子ブックに掲載されている58ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」
極めて良いのに驚く。なおセンター内には二十三夜様の信仰をうしろね兼ねた道しるべが建てられているが、これはもとは、裏の後根切道の三叉路にあったものだが、舗装のためセンター内に移されたものである。正面に二十三夜塔、上宿講中、北山田・鉾田道東水原・釜谷道南牛堀・佐原道と記されていて、建立は嘉永六年一一月( 一八五三)となっている。この頃は水原・釜谷方面へは後根切道を通ったものであったという。孫と折鶴永作よし私達一組の夫婦から娘と息子が生まれ、四人の家族となりました。そして子供達がそれぞれ結婚し、外孫二人、内孫二人が生まれ一族は十名となりました。その孫達もいつも間にか大きくなり、今、外孫は高校三年と中学一年、内孫は高校一年と中学二年に育ちました。そんな中、平成九年に主人が体調をくずし隠居の身となりました。現在は息子と嫁に家事を惇える毎日です。内孫も背丈が伸びて老夫婦を追い越し、家族で私が一番小さくなってしまいました。何年か前から大晦日近くになると、孫二人が紅白の鶴を折って私達の部屋に入って来ます。その鶴の翼にじいちゃんとばあちゃんの病気を乗せて、大空に舞い上らせ助けてもらうのだと言うのです。私達夫婦は有難くそれを信じて居ます。孫は白がじいちゃんの鶴、赤がばあちゃんの鶴といい、テレビの前の生花などの聞に並べて飾ってくれます。それが不思議とその日その日で表情が変り、私達の気持を引立ててくれるのです。扇一風機の風やクーラーの風、又は自然の風の影響かいろいろな姿で私達を見ている気がします。ちょっとお茶目な小さい方の孫が学校から帰ると、その鶴でFD今日の私達を占うのです。「二人とも仲良くして居たかなl。」と言うので「どうして」と聞くと「鶴があっち向いてホイして居るからよ」とからかいます。「じいちゃんは、ばあちゃんの言う事をよく聞いて居たかな、薬はきちんと飲んだかな?薬はじいちゃんの命綱なんだからな。守らないと鶴に乗せられて天国に連れて行かれるよ。どlれ運動に一丁もんでやるかなl」とまつわりつき、暫くどたばたとギブアップする迄遊んでくれます。歌の文句じゃないけれど、何でこんなに可愛いんだろう私の孫達。