ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

おぴしゃ(おかけ)飯田車両満北利根川と横利根川に固まれた水辺の集落では、古くから旧暦の二月を待ちかねたものでもあった。年に一度の楽しいぴしゃ」があるからである。水辺の住民は昔から水との戦いの中で水害を恐れ、水魔を鎮めてもらうために水神様を杷り、信仰の対象とした。そして豊作を祈願し、破魔厄除け、招福を願いながら住民の娯楽と親睦の場として「おぴしゃ」が行われるようになった。その形は変つてもその伝統は細々ながら現在までも受け継がれているのであるそれは旧暦二月一四日から一六日までの三日間行われた。先ず前日の二二日、各組毎に当番宅と下番宅とで下準備が始められる。この三日間、当番宅以外では「鍋かけず」と言って食事を作らず、つまり鍋を火にかける事が無かった。女の人達は、日頃の農作業や冬場の藁仕事から解放され、御馳走を作りながら世間話に花を咲かせ、大笑いしたり愚痴話を聞いてお互いに涙をこぼしたり慰め合ったり、日頃の不満を解消する一年で一番楽しい三日間であった。先ず一四日、男衆は水神社に祭礼の臓を立てる。そして佐原の大戸神社より神宮を招き祈祷を行い、五穀豊穣、招福、家内安全を祈願する。そして楽しい親睦会が始まるのである。赤子から年寄りまで、組の家族全員が当番宅に集まりお招ばれにあ「おずかる。当番宅の土間には四斗樽の菰冠りがでんと据えられ、男達は気分良く飲みはじめる。一四、一五日はこの地方独持の料理「五つの目膳」が用意される。それは親椀(飯)、汁椀(鮒の味噌吸い)、つぽ椀(くずをかけた白い豆)、平椀(鮒の尾頭っき煮付け・野菜の煮付けて向皿(鮒のテッポウ生酢)であっ円LFhuた。子供から年寄り、女の人達は鮒の尾頭つきを喜んで食べたものである。又、女の人達には玉子酒が振る舞われ、皆ほんのりと頬を染めて御機嫌であった。子供達も学校が半ドンになり、早く帰っても子守や家の手伝いをせずに夜まで遊べるので、お正月に次ぐ楽しい三日間だった。御馳走を食べ、おいしい甘酒を飲みお腹が一杯になると、男の子は外で陣取り、石蹴り、パツツケ、凧揚げに夢中になり、女の子はお手玉、あや取り、手控っき、おはじき等で日の暮れるのも忘れて遊んだ。一文商いの店に集まっては、少ない小又遣いの中から飴玉、菓子、せんぺい、くじ等を一銭か二銭で買っ