ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

て喜んでいたものである。最後の一六日の昼食は美味しい五目ご飯である。子供達は大はしゃぎで御馳走になった。日一那衆は二ハ日の夕方「お堂渡し」をする。当番宅に一年間御守護いただいた水神様の分社である「お堂」H高さ一尺五寸、巾二尺Hを次の年番宅にお送りして、お祭りは終了するである。三日間のうちにはある組では、酒は飲み干したとばかりに庭先に四斗樽を逆さにかぶせて置いたりする。それでも飲み足りずに他の組によばれに行き、歌ったり踊ったりの大騒ぎになる。まさにこの三日間は男の人にとって天国であった。又、男の人が花嫁姿になり、初老の婦人が花婿になって仲人役に伴われ乗り込んで大笑いになったり、隠し芸を披露したり大人も子供も心から楽しんだ。おぴしゃの経費は、その昔名主が新田に捧げた共同耕作田からの収入で賄っていた。しかし昭和一八年からは、戦争のため国の方針で一日一中止になり、入手も少なくなって新田の耕作も無理になったようである。そして昭和四五年、常会に於て「おぴしや」は二月一一日の建国記念日と変更になり、当日限りとし、会場は公民館と決められた。その伝統は、四組合同で今も守られているのである。雑詠この花のところで待ってと幼な児は帽子をとりにまろびつつ行く名を呼べば障子伝いに寄る孫よくつ沓買いやらむ春来たりなば雑踏に亡き孫みつけ追いかける苦しき吾の声に目覚める重き且鼎をケ代ス四の千中年にの収深まきり沈」て猷量砂々と東支那海涯とおく戦さ止まざる国をし思うぬばたまの夜の機窓に金銀の灯が形どるはわが故郷か窪谷とくハ《U phu故宮博物館沖縄機上より