ブックタイトルふるさと潮来 第一輯
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ふるさと潮来 第一輯
重要文化財長勝寺の党鐙由来と鐘銘苔むした山門を〈ぐると、松並木の馬場先長〈稲荷山を背景Kした正面K神宗唐様建築の本堂が見えるとζ海雲山長勝寺は、臨済宗妙心寺派K属する由緒ある古刺として潮来の史蹟をたずねる上にかかせ左いものの一つである。当山の歴史は、本堂右手の鐙楼高〈蔵する焚鐘に刻まれた鐘銘とその序文の中Kその沿革を識るととが出谷玄明たのであるo銘中K「客船夜泊、常陸蘇城」の章句があP、当時は月世俗ち烏鳴く姑蘇域外の寒山寺rh走らぷ景観があり、しかも船舶の往来が絶え左かったことが伺われるのである。古鐙は小型(一一さ八九センチ、直径六三・五センチ)であるが、まζとに気口叩の盲問い形状をもち、鐘楼にあって時Kは戦乱の巷を見につつまれながら鎌倉時代よりんどう」がその偉風を誇っているようK「との寺は今を去る七八五来る。即ち特色ある伽藍堂宇の棟K打たれている源氏の定紋「笹り下し或いは祝融の炎(火事のとと) の畿星霜を経てその妙念る鐙の音を響かせながら今日K至ったのでーち9-年前文治元年(一一八五)源頼朝公が武運長久を祈願して創建され寺名を長勝と名づけられた」とあり更につづいて「その後一二四年を経た元徳の年こ三一ニO)崇鑑入道北条高時が時の下総包府城主道暁千葉氏との発起KよP資谷らと共K財を施し、公の笠ロ拍伎の為に甲斐権守助光をしてとの銅鐙を鋳造せしめ寄進したものである」と鐙の由来が記され、との序文と共に鐙銘は長勝寺の縁起を物語る且即も貴重走資料と云わ左ければなら念い。鐘銘並びK序文の作者は、鎌倉円覚寺十六世情拙和尚で後に勅益号K大鑑禅師を賜った傑僧である。和尚は中国宋より来朝し五ロ国K臨済宗清拙派の一派をひろめた人であるが、その徳を仰いだ当時の長勝寺住持妙節和尚の懇請によりζの鎖銘がつ〈られるととと左つある。笑Kその間六OO有余年を経て古社寺保存法Kよ-Pその調査会Kとり上げられ、明治四十四年八月九日を以て美術工芸品として国宝に列ぜられた後、昭和二十五年五月公布の文化財保護法Kより党鐘、鐙銘拓本共K重要文化財指定と在った。次K鐘銘の原文を掲載して御参考に供するととKしたい。尚本文の注釈については文化財保護委員会田山方南先生の解読によるものである。長勝寺銅鐘々銘(注釈)常本陸ノ文国)海雲山長勝禅寺鐙銘+並ラ序ピ