ブックタイトルふるさと潮来 第一輯
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ふるさと潮来 第一輯
と呼んでゐる。主にカシパンワ=、バカガイ、ベンケイガイ、ダガィ、アカガイ、マガキ、ェゾマテガイ、アカニシ、サルポヮ、タマガガイなど古東京湾の且町盛期は第三間氷河期の終D頃(十五万年前) で其の後はグユんム氷河が到来して陸地は寒〈左hy東の方から陸化が進んで海底に堆積した原形の闘東平野が出来た。第四氷河期の終った頃約二万五千年位前K古東京湾は狭〈念P、周辺では火山の爆発、地震の鳴動が続いたυ 富士、浅間、男体( 日光)赤城、榛名、箱根の山山で海底から陸化したばかPの関東和T野に白や赤術色の火山灰を降らした。延方とども(ー)の、,、.延方に於ける農民連動今泉新衛門秘蔵文献Kよる明治六年は政府が地祖改正令を全固に出し田畑山林共に一筆調査をして地価を定めて其の三分を税金として諒する決定をした年であり室穴K農民にとDて今迄の様在年貢米の制度が税金K変った全〈一大変革であった此の為め各所K謀税の減免叉は旧年貢米制度Kも全国各地K農民運動が起った。きが茨城県那珂湊左どの農民一授は全国Kも其の最も在るもので有った。丁度此の年の七月よP八月K亘る私採は利根川鬼怒川其の他諸川がサフ以上は高橋丈夫先生が鹿島誌K寄稿されたものであDます。由来行方台地と鹿島台地とは同時K同じ条件で形成されたものであるととは想像することが出来ます関係上何等かの参考にもなればと存じ拝借した次第です。私共が研究の対象としてゐる人文変迭の行程を探求するのであDますが上記の様な現世迄の成因を知って置く乙とも参考と在ると存じます。此度研究小史が創刊KあたP敢て前途を祝福すると同時に会並K会員が健全在る進捗のあるζ とをお祈hy申し上げます。(筆者は元延方村長、町文化財保護審議委員)-56-山野清作氾濫し大洪水と左P下流一帯は遂に泥沼と化した吾が延万村の四百町歩の水田も忽ち冠水して稲米は一時に発芽腐敗して遂げい一粒の収穫さえ見込無〈村氏は全〈悲惨の窮地に陥ち入った此時K緩い立つたのが今泉覚治郎である。先ず第一の救急策として租税の全免を願い出る撃を叫び時の戸長闘沢四良衛K進言して其の同意を求めた。然かし戸長は温順で且つ自重家で其の賓の重大在るを感じ回答を避け却Dて之れが軽挙妄動を戒めた覚次郎等は大K憤慨して四方K徹を飛ばして八月二十五日鎮守社前K義民の務Dを翻し村民大会を開いた。集る者二百有余人撤して臼〈「兵ノ急ナA ハ功ア収メ義ヲ貫