ブックタイトルふるさと潮来 第一輯
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ふるさと潮来 第一輯
jj ハマリニルニリテスヲ大国初新因縁於壬寅終甲辰中間有故廃事一二一一一一レレチルノヲマリニルユムヲ後造延方古高因縁於嘉永英丑終安政丙辰積歳二一一一一一一一レテ一ツイヤスヲトアノルモタレリリスヲ1V一紀而旋回七百云其勤亦至笑図成献之再浄写レレ一一ヲテストνコレヲノノノエフエモ一通以為副蔵年同其村長家備他日彼索之用意抑一レ二一一一一ノルチタルヲテクツ斯図成自今而後経界不得復漫而永絶小民争畔レレ一二ヲモカノタニキノノトフモムルルヒ之訟者難五口公深仁厚徳之所及然延莫之勤有稗一一一レレ一レレニニニンヤトテニニスノヲ於有政量謂議少乎土日歳余従有司与検二村田園一一一一一一一二一テテユムルサノヲニ、是以延莫請余使識其願末於図上延莫通称四郎レレ一一一ハテνキヲニモV ヲ1 ス衛門延莫以精於測量製図去歳乙知亦奉命測量レ一一一レ一一ヲニムルニリト7仙波湖其図試郡奉行伊議介茅根君有題辞云一一一歳安政三年丙辰二月宮本球仲努識井村宗卓書関沢高功の略伝と其の官歴翁は第五代四良衛門高徳の第一子幼Kして莫怜最も新取の気蒙K富む梢々長して柳原氏に師事し刻苦精励和漢の書を汎〈渉猟し常κ胸中万巻を蔵す業成hy六代四良衛門を襲名箕棄の業を継き専ら家稽に励む当時父高徳上司の命K依P戸長の役を掌る時偶々落政廃止され明治新政府樹立為めK村政も頗る多繁左るを所理し鶏鳴を聞くを常とすo後ち幾許も無〈明治十二年都区町村制実施郡役所を麻生町K宣くK当P考る所有りと郡役所書記として官界に身を投した是れが翁の官界入Pの第一歩である箔更K行方郡小高の地に広汎走る台地の有るを知D同士ゅの士と相謀P此の地を借受け輿農社を結成し産業開発に力を効たした然かし機は未た至らす此の事業は遂に失礼K帰した弥来五姶年税務署の重鎮として東奔西走明治四十一年四月其の功に依P高等官山等正六位の印緩を賜るの光栄に浴す後織を辞し千葉県船橋の偶居善光庵K於て遊悠自適自ら九翁と号して詩歌を以て楽みとし老を養ふ遺編も多〈在す偶々大正九年一月廿五日濫鳶として逝〈中山の法奉寺内境外K釜を設け葬る行年六十八才浮屠為めに其の功を讃し高心院殿義忠日功居士と泌す配は千葉県香取郡津の{呂-61ーの名族本宮氏の女一男官歴明治十五年行方郡々書記拝命同拾八年収税属任命県属と為る同姶九年三月下舘間税検査で舘派出所主幹となる同二姶年新治郡筑波郡の石岡町の派出所主幹と念る更K叉同派出所税務分暑と為るや鼓K分岩長と為る同二拾三年十一月下舘介箸長として転勤更K直税分署長兼務十九年まで勤務在任する同二十九年四月関税検査監督員と念P水戸に転任本部員となる